2012年12月27日木曜日

260. 「Make 日本語版 volume 12」 と「子供の科学」

”Make” 日本語版 volume 12 を買った。the most useless mashine が載っていたから。

この機械the most useless mashine を1952年に最初につくった人は「情報理論の父クロード・シャノン」で、「人工知能の父マービン・ミンスキー」の考案によるものだそうである。えらい学者
のアイデアによるおもちゃである。

最近のブームはブレット・クルサードがタイマーIC555を使って、簡単な回路で
「完全に自分の動く回路を切ってしまう」機械を自作し、YouTube と Instructables
で発表したことがはじまりだそうだ。

(Instructables のサイトに行き、the most useless macnine ever をキーワードにして検索すると
桐によく似た白木の箱で作られたブレット・クルサードのマシンの写真がでてくる。説明文の最初に
Backgroundの項があり、どうしてこの作品がつくられたかの背景が説明されている。そこには
Also known as The Ultimate Machine: Claude E. Shannon built the first one based on an idea by Marvin Minsky.  とある。)


私が間違っていたのは、現在最も多く、WEB上で動画が見られるthe most useless mashine
はPICマイコンはおろか、タイマーIC555ですら使っていないということである。(このブログの227項と232項ではPICを使っていると、また第254項ではほとんどのマシンがタイマーIC555を使っていると思っていた。)InstructablesのユーザーであるCompukidmike がブレット・クルサードにたいするコメントの欄でモーターとスイッチだけの仕掛けでよいと発言した。

(Instructables のサイトのthe most useless macnine ever のコーナーの900以上あるコメントのうち、2010年の1月5日にcompukidmike氏の発言がある。)

the most useless mashine というのは、箱の上のスナップスイッチを一方に倒すと(スイッチを入れると)、箱の半分の蓋があいて、機械の手が飛び出してきて、今いれたスイッチを切って、箱の中に引っ込んでいくというものである。leave-me-alone machine ともいわれている。

この手が引っ込んでいく途中で、またスイッチを入れると、引っ込んでいた手が瞬時にひきかえしてきて、スイッチを切ってしまう。このしかけにはエレクトロニクスが必要とおもっていたが、スイッチを二つつかっただけだそうである。なんのことはない。機械の手はモーターで動き、スナップスイッチをいれると、そのモーターのスイッチがはいるいるだけなのだ。スナップスイッチは逆転スイッチになっていて、機械の手がスナップスイッチを切ったようにみえるのは、自分(手)を引っ込める方向にスイッチをいれただけなのだ。手が動かなくなるのは、手が最も引っ込んだときに、「引っ込ませる」回路の接続が切れるようにもう一つスイッチを使っている。

昔の玩具のミステリー・バンクも現在日本で市販されている猫がコインをさらいこむ貯金箱も、the most useless mashine も、automatic targetも、全部、モーターとスイッチだけでできているのだろう。それが555タイマーICをつかうよりも安価だから。(下の実体配線図はInstructablesのthe most useless macnine ever のコーナーでの発言=kill1234氏のもの=からの引用で、compukidmike氏のものではないが、わかりやすい


第226項で森博嗣著「創るセンス・工作の思考」を紹介したが、その中につぎのような問題が提出されていた。「電池とモーターを使って、ジュースの自動販売機の模型を作れ」。その答えのひとつもこれらのしかけと同じものである。これは昔の「子供の科学」に作り方が掲載されていたので、時間があれは作ってみよう。


2012年12月12日水曜日

259.the most useless machine,mystery bank and automatic target

most useless machineのmechanism を応用して、護謨鉄砲の automatic targetを作ってやろうと思っていたが、すでに製品が市販されているので、がっかりしている。

これは日本でも市販されている。ライラクス・オートマチック・ターゲットで検索すると出てくる。1500yenである。

このしかけは大体想像がつく。most useless machineか、mystery bank のどちらかにより似ているだろう。

most useless machineは6pのsnap switchをつかっているが、mystery bank は一種のrotary switchを用いて、motorのdelay mechanismを作っている。これらは親戚(relatives)のmechanismである。

most useless machineは6pのsnap switchでreverse rotary motionを起こすが、mystery bank では、1directionしか回転しない。

どっちでもできるが、mystery bank をmodel にしたほうがやさしいと思う。

2012年12月4日火曜日

258.どうでもよいところに個性が出る

 現代のジェット戦闘機の写真を見ると、ステルス以前の機体はアメリカもロシアもよく似ている。ぱっと見た目には見分けがつかないほどである。しかし垂直尾翼の形をみると、ロシアのものは先端を斜めに切り欠いており、アメリカ製のものと区別がつくようになっている。アメリカの戦闘機は垂直尾翼の先端が斜めに切り欠かれたものはない。なぜだろうか。
Mig25

Mig29

Su27
F15

F18
垂直尾翼の形というものは飛行機の性能に関係がなく、設計者が自由にデザインできるのだそうだ。現代の戦闘機の形が似てくるのは、双発エンジンを左右に配置し、ひらべったい機体の上面で垂直尾翼の効きをよくするためには、双垂直尾翼にしなければならない、というふうに、要求される性能の機体を手に入る主要部品で作るとなると、可能な形態が限られてくるからだ。これにたいし、垂直尾翼の形はレシプロエンジンの時代から、比較的自由にデザインできるらしい。

 したがってロシアの戦闘機は垂直尾翼の先端を斜めに切り欠いたものを、共通に使って、自国製であることをアッピールしている。アメリカは絶対この形にはしない。

絵の真贋を鑑定するとき、人物画だと、耳を見るのだそうである。人物の目鼻口はモデルによって異なるが、耳は人物の顔の特徴とは考えられていないので、画家はやや「流して」かく。だから、画家の個性がよく出るのだそうだ。モデルが違っても、耳の書き方は同じということがあるらしい。

ピストルでは、用心鉄の形などは、銃の性能には関係がない。どんなかたちであろうとどうでもよい。だから逆にメーカーの個性が出やすいと思われる。したがってメーカーは、自社製の銃の用心鉄の形に共通性を持たせて、ブランドであることを強調しているのではないか。
 
上の写真はどこの会社のピストルかというと・・・・・・・・これはベレッタm92とm1934である。楕円形の美しいかたちをしている。m1934はおそらくブローニングの影響でだろうが、m92でもそれを守っている。
 
ではつぎは?ひとつは拳銃でなく、サブマシンガンだが。
 
 
これらは、前から、ヘッケラー&コッホのUSP、P7、MP5である。ベレッタに比べて、無骨で、デザインなどないように見えるが、そうでない(と思う)。とくに中指の当たる、後方の付け根に共通点がある。
 
次の画像の左側はS&Wのm439である。こんなふうに用心鉄の前の方を、あごをしゃくるみたいに持ち上げたオートマチックは他にないので、銃の性能はともかく、一目見てわかるモデルになっている。この「あごのしゃくり」はS&Wのレボルバー(下の右はM29)を連想させるように作ってあるのだろう。

2012年11月30日金曜日

257.YouTubeのガトリン*ゴム*

「ガトリン*ゴム*を作ってみた」という題の動画がある。ずいぶん前からあるが、今度見ようと思ってさがしてもなかなか見つからなかった。私はrubb** ban* gu* で検索するので、日本語名でアップロードしてあるものはなかなか見つからないらしい。

これは写真で見るとおり、金属とプラスチックでできていて、機械工作のできる日本人が作っている。動画から取っているので(ごめんなさい。無断でやっています)、ピントがぼけているが、真ん中にウォームがありまわりにギヤがある。ギヤが回転翼式護謨鉄砲の回転翼にあたる。

回転翼式護謨鉄砲を4本たばねてある。真ん中のウォームは固定で、その周りの4本の銃身の束が回転する、回転翼(ギヤ)は1回転で1歯分回転し、1発発射する。


このような凝ったしかけ(と思う)はたいてい工学部か高専の学生の作品だ。Hidosugi鉄工所主人のガトリン*も凝った機構だったが、工学部の出身じゃなかったのかな。

私がうらやましいのは、作者はエンジニアリングプラスチック(と思う)を旋盤で自由に加工できる工作力を持っていることである。

2012年11月27日火曜日

256.Rota**Mek12Xのメカニズム

YouTubeでガトリングガンの動画がみられる。このマシンガンの回転力は、輪護謨の位置エネルギーの一部を使っており、モーターや電池は使用していない。

これは回転翼式連発*を束にしたものである。回転翼は長い2枚羽根である。

回転翼式の連発*を束にした護謨鉄砲では、エスケープメントのメカニズムによって、歯車を1歯ずつ送り、引き金はエスケープメントの振り子部分を振らせるようになっているものが多い。しかしRota**Mek12X では回転翼自体をストッパーで止めており、引き金はこのストッパーを操作する。

回転翼が回転しないように(暴発しないように)しているのは、回転銃身の内側の銅製の円筒である。円筒は銃に固定されており、回転しない。

この円筒のいちばん上(12時の位置)には切り欠きがありここだけ回転翼が回転できるようになっている。

回転翼の回転を妨げているものがもう一つあり、写真で見えている(頭の丸いネジがふたつついている)ストッパーである。引き金を引くとストッパーが後退し、切り欠き部分の真上の回転翼だけが回転する。1発発射する。

切り欠きはS字型をしており、回転翼の軸はちょうどS字の中心を左右に横切るような位置にある。
回転翼が回転すると回転翼の根元(軸に近い部分)が銅製円筒の斜めの切り欠き部分を蹴って、その反動で、回転銃身を後ろから見て時計方向へ回転させる。

回転銃身が回転すると、たった今発射した回転翼は少し移動し、銅製円筒の切り欠き部分をはずれるため、1つの回転翼は続けて発射はできない。切り欠き部分には次の単銃身が移動してきて、1発発射して、また銃身筒を回転させる。これが連鎖反応的に続いて、フルオートで発射する。(というメカでないかと推定する。)

これは非常に巧妙なしかけであって、「輪護謨のちからだけで、50発以上の発射ができる護謨鉄砲=マシンガンを作れ」といわれたら、これが正解だが、ちょっとやそっとでは考えつかないだろう。

これは回転翼式護謨鉄砲でエスケープメントの振り子にオモリをつけて遅延させて発射させる「護謨銃職人」氏の原始的マシンガンに似ている。うまく調節して、連射が止まってしまわないように、また、だんだん加速してアッという間に全弾発射してしまわないようにしている。

Rota**Mek12Xの動画には、引き金を引いて発射させ、一旦止めて、また発射する場面が、最初にみられる。断続的に引き金を引いたとき、かならず、1個の回転翼が切り欠き部分の上に来ていないと、回転がとまってしまう。YouTube の動画はこの点、問題ないことをアッピールしている。

12の回転翼が銅製円筒の表面を常にこすっているのだが、回転がとまらないようになっている。回転翼の長さが長く、銅製円筒にかかる圧力が小さくなるようにしているのだろう。

このメカニズムは特許出願したようなことを言っているが、(英語なのでアナウンスがよくわからんが)、正直言って、達成された成果は、糸巻きガトリングと大差ないように思われる。糸を使わないのでメカらしい点だけが取り柄だ。糸巻きガトリングは高校生でも作れることを思えば、「ご苦労さん」と言いたい。

2012年10月5日金曜日

255.回転式○○鉄砲

木の回転式6連発○○銃2012(試作) WOODEN SIX-SH00TER RU**ER *AND G*N(Prototype)

という動画がある。○○のところに適当な文字をいれて検索すると出てくる。

良く似たことを考える人がいる。

ほとんど無駄な機構のように(機構のための機構のように)思えるが。

銃身が60度回転して同じところでぴたりと止まるので、まるで動いていないかのように見えるのはなかなかすごい。しかし回転翼式護謨●●でもリヤフックの動きは、そのようになっているので、おそれることはない。


ゼネバ機構の画像はhttp://www.thehourlounge.com/index.php?module=Thread&action=viewEntire&threadid=47758 

から引用。(geneva mechanism をキーワードにして画像検索し、この画像のサイトにアクセスしたほうが早い。)

2012年10月4日木曜日

254.タイマーIC555

How to build "The Most Useless Machine" という記事がboingboingというサイトにあって、それを読むと、most useless machine はpicマイコンとサーボモーターでなく、タイマーIC555とただのDCモーターを使っているようだ(以前第232項で書いたのは英語が読めないための誤り)。レーザーカットしたアクリル板を含めたキットを30ドルで売っている。安いキットのように思える。

タイマーIC555ならプログラムは不要なので、手がだせるかもしれない。Youtubeの動画では、箱の中の「手」は箱の上のスイッチを切ったあと、モーターの逆転によって、同じスピードで、来た道を戻っていくように見える。モーターを逆転させるには、やはり電子的な仕掛けが必要だろう。

昔作った貯金箱(ミステリー・バンク。本ブログの227項で取り上げた)は、クランクによって、手を前後運動させていた。すなわちモーターは逆転せず、ある方向に回転するだけである。これは電子工作でなく、トランジスタもコンデンサも抵抗も使わない。

森博嗣の「創るセンス 工作の思考」(本ブログ第226項)の中で、読者に与えられた課題である「缶ジュース自動販売機の模型」のうち、モーターと電池を使ったものは、このミステリー・バンクの仕組みを使えば、できる。ワタシはそれを自分で考えたのでなく、知識として知っている。

タイマーIC555を使うとつぎのようなことができる。引き金を引いて、一瞬スイッチをONにし、すぐ放す、するとモーターが一定時間回転して輪護謨を1発だけ発射して止まるということができる。ただそれは最初に可変抵抗器を調節して、適当にタイミングを決めているだけで、実際に輪護謨が飛んだのを感知しているのでもなければ、リリーサーの位置を感知しているのでもないので何百発もうつとずれてくるだろう。だから別に555が関係しない回路をつくり、それに切り替え、手動で動かして、(おお、そうだ!)ずれを直してやらないといけない。起点を手動で合わせるわけだ。時計の時刻を合わせるように。

昔、衆議院選挙の開票速報の番組をNHKでしたとき、コンピュータを使って、「当選確実」を予想した。ところが、そのころのコンピュータは不安定で、放送中にダウンすることがよくあったそうである。その対策はコンピュータの画面とは別にアナウンサーを待機させておき、コンピュータが故障すると、そっちの画面に切り替えていたらしい。その間にコンピュータを調整し、回復したら、またコンピュータ画面に戻した。不完全な機械でも、運用によって、実用に供すことができる。飛行機の車輪がでないとき、手動で車輪が出せるようにしてあるようなものだろうか。

2012年10月2日火曜日

253.リーゼ・マイトナー

「リーゼ・マイトナー 嵐の時代を生き抜いた女性科学者」R.L.サイム著を以前に読んだ。もう一度図書館から借りてきて、オットー・ハーンが核分裂反応の発見でノーベル賞を独り占めし、(ひとりにしかあたえられなかったので彼のせいではないが)受賞演説で、リーゼ・マイトナーに言及しなかった部分を読もうとしたが、読めなかった。

カイザー・ウィルムヘルム研究所で、気さくなオットーハーンと共同研究をした、リーゼ・マイトナーの輝かしい日々の記載が延々と続き、ブログの材料をパクってやろうという、下卑た根性では、読めなかった。

とにもかくにも、オットー・ハーンはウランに中性子を当てる実験の結果をナチの手をのがれてスウェーデンに移住したリーゼ・マイトナーに手紙で送ってやったのである。その実験結果は、化学者としてのハーンの腕がなければ、そして、マイトナーにたいする友情がなかったら、彼女の手には渡らなかったのだから、ハーンだけを責められない。マイトナーもニールス・ボーアに勧められたからといって、オットー・フリッシュとだけの共著で、ハーンには相談せずに、原子核「分裂」が起こったという彼女の一世一代の分析を論文として発表したのだから、おあいこといえないことはない。

リーゼ・マイトナーと甥のオットー・フリッシュは、ある日、散歩しながら、オットー・ハーンの実験データについて討論を重ね、原子核分裂という概念に達した。このとき彼らは原子物理学の最前線、前人未到の場所にいたのであり、大発見をしたという気がしただろう。その結果をオットー・ハーンにしらせてやるべきだろうか。当時のドイツで、ユダヤ人であるマイトナーの名前を共同研究者として並べることは難しいかもしれない。マイトナーらだけで、1日も早く論文にするよりほかない、そう思うのは無理もない。

オットー・ハーンにしてみれば、実験データを送って相談したのに、その考察結果を無断で発表するとは何事か、そう思うのは、これまた無理はない。

ハーンはノーベル賞の受賞演説で共同研究者のことに言及して、喜びを分かち合うチャンスがあった。しかしユダヤ人の共同研究者のことを言うのはかれの立場を悪くすると思ったのだろう。そのチャンスをのがしてしまった。受賞演説は1度しかできないのである。

ハーンは核分裂に気づかなかった自分が許せなかったのだろう。同時にマイトナーに科学者としての嫉妬をかんじたのだろう。おかげで、彼は、科学史上、女性科学者を差別した好例として持ち出されるようになってしまった。

原爆が広島、長崎に落とされたことを知らされたドイツの科学者たち(連合軍の捕虜になっていた)のうち、ハイゼンベルグらは、ドイツも原爆を作るべきだったと言い合ったが、オットー・ハーンは、ひとり、「われわれはそれを作らないで良かった」と言った。ハーンは物理学者というより化学者であり、原爆計画があったとしても脇役だったので、そう言ったのだろうか、第一次大戦で毒ガス研究をしてこりたのだろうか。ハーンのことを考えるとき、このエピソードがたったひとつの救いのように思える。

252.無名の協力者

「グラハム・ベル 声をつなぐ世界を結ぶ」ナオミ・パサコフ著を読むと、チャールズ・ボールドウィンという名前が出てくる。

アレクサンダー・グラハム・ベルは、電話の発明者とされている。父親が視話法(一種の発音記号?)を開発し、聴覚障害者教育に携わったので、自身も一生を通じて、聴覚障害者の教育に関係を持った。電話の発明について、イライシャ・グレイやトーマス・エジソンという強敵に1歩先んじたのは、電気についての知識が乏しいにもかかわらず、(また全く不器用だったにもかかわらず)、音についての物理学や、音声についての知識が豊富であったためと書かれた本が多い。確かにそういう点もあるだろうが、この人はもっと気が多く、エジソン以上に多方面の発明に首を突っ込んでいる。飛行機の発明にも夢中になってAEA(航空実験協会)を設立した。グレン・カーチスもそのメンバーである。

ベルはヘレン・ケラーにサリヴァン女史を紹介したり、「聴覚障害の方がたのために働くことは、私にとって電話の発明よりもずっと、魂の安らぐ行為です。」と言ったりして、ヘレンケラーはそのことを記録している。ベルの伝記のその部分を読むと、彼はその一生を聴覚障害者への福祉のために捧げた、という感じがするのだが、たいていの著者はベルが、飛行機や水中翼船など聴力障害と何の関係もない発明に血道をあげていたということを、同じ章に書いてバランスを取ることを忘れている。(同じ本の別の章では他の発明のことも書いてある。)読者は十分な批判精神を働かせることなく、発明者の英雄譚に酔わせられている。ベルは複雑で、素直に英雄として、その伝説を吹聴するのは、自分が納得いくまで、文献を渉猟してからでないと、アブナイ人物なのだ。

チャールズ・ボールドウィンというひとは、ベルのAEAの第2号飛行機を作ったひとで、主翼と蝶番で接続した補助翼をつけた世界最初の飛行機を作った人物である。グラハム・ベル夫人メイベルは、飛行機の発明に関してベルの盛名が上がらなかったことを残念に思うこともあって、AEAのメンバーでひとり名をあげたカーチスを非難した手紙を残しているそうだ。彼女はその中で「カーチス複葉機と呼ばれて、空を飛んでいるのは、AEAの成果を盗んだ代物で、ボールドウィン複葉機と呼ぶべきものです。」という意味のことを言っている(前書ナオミ・パサコフ女史の本より引用いたします)。

なんのことはない。カーチスはライト兄弟のアイデアをパクってその改良版を考案しただけでなく、彼の特許の補助翼(エルロン)そのものが、AEAの他のメンバーからのパクリかもしれないのである。そうすると、発明家を英雄にしたてて、その提灯を持つという行為が、まっこと、つまらないことだという気がする。

ボールドウィンの蝶番補助翼のアイデアは、ライト兄弟のねじり主翼の改良版である可能性が高く、ライト兄弟のアイデアはカーチス由来でボールドウィンに伝わったか、ライト特許書類によるものだろう。ライト兄弟の話を聞いてきたためにAEAの中でカーチスが主導権を一時にせよ握ったことが想像できる。補助翼の発明者はカーチスということになっていて、ボールドウィンという名前は発明の歴史の中に埋もれている。一将成って万骨枯れる、である。

(ベルの母親もベル夫人も聴覚障害者である。ひとは母親を選ぶことはできないが、配偶者を選ぶことはできる。障害者と結婚することはなかなかできることではない。えらいことはえらい。しかしこれと、電話の発明の成否とは一応切り離して考えるべきだろう。ベルは大学の物理学の成果に接する機会があった。また博覧会などで、度々電話のデモンストレーションを行なう度に電話を改良した。グレイやエジソンとの間に差がついたといえば、このへんの事情によるものだろうが、よくわからない。「グラハム・ベル 孤独の克服」の中にベルの音響学の知識が決定的な役割を果たした証拠を探しているが、まだわからない。
 
 

 具体的にどういう知識あるいは経験が発明の成功にむすびついたか、それを言わないとたんなる推測にすぎない。10年にわたる特許裁判でベルはいろいろな弁明をしているが、「音の物理学の知識があったために電話の発明ができた」と言っているのが、ベル自身であって、裁判で証言しているのであれば、話半分くらいに聞いていたほうがいいだろう。)




2012年9月26日水曜日

251.カーチスがラングレーのエアドロームを担ぎ出す

 「誰が本当の発明者か」(志村幸雄著・ブルーバックス)を読むと、ワタシの書きたいような発明をめぐるトラブルは大方書いてある。

「何が抜本的な発明で、何が単なる改良か」を決めるのが難しいことが、発明をめぐるトラブルの原因であることもちゃんと考察されている。

そこでワタシとしては大したことは書けないが、改良者が、先行する発明を相対化するために、さらに先行するひいお祖父さんのような古ぼけた発明を持ち出してくることがよくあることを指摘する。

ラングレーはスミソニアン博物館の館長で、飛行機の研究者・製作者としてはライト兄弟の先輩である。彼の先進的な星型エンジンを積んだ飛行機:エアドローム(エアプレーンではない)はワシントンのポトマック河でカタパルトで打ち出されたが、横滑りを打ち消す機構を備えていなかったため、ほとんど飛行することなく、河に落ちた。ライト兄弟はこのあと間もなく初飛行に成功する。(記憶に頼って書いているので間違いがあっても責任は取りません。)

ところがライト兄弟とカーチスの熾烈な(「誰が本当の発明者か」の表現也)特許権訴訟にからんで、カーチスがライト兄弟の功績を相対化するために、エアドロームを再現(再製作)し、ポトマック河上を飛行させ、世界最初の飛行機はライト兄弟のフライヤーではなく、エアドロームであると主張した。

ラングレーはその1年前に亡くなっており、本人は生前、世界初飛行の優先権を主張したことは、全くなかったのに、ライト兄弟の追随者/模倣者によって担ぎ出されたのである。落語で死びとにカンカン能を踊らせる話があるが、カーチスがラングレーのカカシを作ってライト兄弟(オリバーだけになっていたが)をおびやかすようなものだ。

オリバー・ライトはウィルバーがチフスで亡くなってからは、飛行機の製作はせず、飛行機の発明者としての名誉を守ることに専念した。彼は、新旧のエアドロームの写真を比較し、飛行に成功したエアドローム再生機はオリジナルに比べて二十何箇所の変更が加えられていることを指摘し、元のエアドロームは飛行する性能はないことを示した。

このように改良者が発明者の功績を相対化するために先行発明を持ち出すことはよくあることである。先行者の名誉を顕彰するのが目的でなく、改良者が対決している発明者を攻撃するために引っ張り出すのである。

コンピュータの発明をめぐる訴訟でも、モークリーとエッカートのENIACよりも先に、アナタソフの「ABC機械」があった、という議論が持ち上がったが、これは訴訟の相手のハネウェル社が発掘してきたものである。ハネウェル社はモークリーとエッカートの特許を持つスペリー・ランド社に特許料を払わず、裁判で対決した。

ハネウェルといえば、日本のカメラ会社ミノルタが、一眼レフの自動焦点機構にハネウェル社の米国特許に触れる考案を用いていると、訴えられ、敗訴した事件がある。このとき、ミノルタは自身が権利を持つ、ドイツ・ライツ社の先行特許をかざして防戦したが、ライツ社特許の弱点を突かれてまけている。この場合は先行特許を持ち出したほうが負けたわけだ。

先人の業績が発掘されて賞揚されるとき、よく見ると、それを発掘するエネルギーは、発明を利用したい製造業者から湧いてくるものであることが多いのではないだろうか。



2012年9月11日火曜日

250.発明発見物語はいつもスキャンダルを伴うわけではない

前項で「発明・発見に関するスキャンダルの分類」について書いた。発明や発見は時代の産物であり、時期が熟してくると、複数の人々が同時期に同じような発明をなしとげることがしばしば起こる。そして、Aの考案をBがマネをして、さらにBのアイデアをAがパクり返すということがおこるので、発明がなされた(と人々が信じた)段階で、だれがいちばん手柄をたてたのか、公平に見ても難しくなる。
そして発明ゲームに携わった人々の間で、名誉とカネをめぐる争いがおこり、しばしばスキャンダルとなる。

しかしスキャンダルのない発明・発見物語というものはある。

たとえば古代シラクサのアルキメデスが、王様が金細工師に作らせた王冠に鉛が混じっていないか、王冠を壊さず、しらべられないかと相談され、日夜考えていたが、風呂にはいっているうちに比重と体積と重量の関係が思い浮かび、ある物の体積はそれが排除する水の体積を測ればよいのだから王冠の体積と王冠と同じ重量の金の体積をくらべたらよいことに気づいた。(ある物の体積はそれが排除する水の体積であることをアルキメデスがはじめて発見したのか、即ちこの事件の解決を通じて、物の体積の測定方法と比重の測定方法が確立したのか、その知識はすでにあって、王冠のことに応用しただけなのか、は不明。)・・・・・この物語にはスキャンダルはふくまれていない。アルキメデスが喜びのあまり、裸で往来に走り出たことは、この際、スキャンダルでない。

発明・発見物語とは、本来、アルキメデスの発見の喜びを、物語を聞いた人間が共有するものである。アルキメデスとともに、「ユリイカ!」と叫ぶために、人々はアルキメデスの伝記を読む。そして、自分も何かの発見をして、そのよろこびを味わいたいと願うのだ。

「世界を変えた発明と特許」に取り上げられた大発明家の物語のうち、豊田佐吉と太一郎の親子のエピソードがいちばん気持ちよく読める。だれの発明をだれが盗んだというような話がまったくない。ただもう努力と成功の物語である。社員の発明は社員の発明として正直に記載されている。昔の日本人はまじめであったという感じがする。

発明発見にかんするスキャンダルの分類をとくとくとして記載するこのブログの記録者は、発明・発見物語の本来の楽しさをしらないわけではない。発明者の英雄物語は爽快である。スキャンダルと英雄物語と両方必要である。スキャンダルばっかりだとイヤになるだろう。ちょっとサッパリしたくなるだろう。ウドンをたべるときにネギなどの薬味がいるように。中東でチャパティ(釜の内側に薄く貼り付けて焼いたパン)を食べるとき、彼らは生のネギを片手に持って食べる。チャパティとネギを交互に食べる。ウドンとネギとおんなじだ。発明英雄物語と発明スキャンダルとどっちがウドンでどっちがネギかしらないが。

平家物語は誰が誰を討ち取ったとか、首をとったとか、血なまぐさいお話しが延々と続く。われわれは喜んでこれらの残酷エピソードを読む。しかし同じような残酷物語を読みつづけると、むなしくなってくる。したがって平家物語では、読み手が安心して読みつづけられるよう、清涼剤を用意する。それば、仏教の諦念にもとづく哲学:「所業無常、盛者必衰の理」である。平家物語では最初にこの読み方が提示される。物語のはじめに、その物語を解釈する哲学が提示されるのは、ユニークといえるのでないか。(「失われた時を求めて」では長い長い小説の最後に物語を貫く、感覚、考え方のようなものが提示される。「源氏物語」では、・・・・読んでいないが・・・作者はとくに1ページを裂いて、宣言するわけではないが、個々のエピソードが全篇を一貫して仏教的諦念を通して取り扱われている、といえるのでないか。)

発明発見のスキャンダルを読みつづける精神のバランスは皆さん各自でおとりください。



2012年9月7日金曜日

249.発明・発見をめぐるドラマ(スキャンダル)に関する一般法則2

前項で、発明をめぐる物語は、

(1)先行発明者が追随する改良者をおさえて、名誉や金銭的成功を手にいれる

(2)改良者が画期的改良をなしとげることによって、先行発明を単なる「予告編」にしてしまった物語

の2つであって、これ以外のものはない。と書いたが、これに加えて

(3)全く同様の発明が奇しくも全く時期を同じくして達成され、デッドヒートの末、鼻の差で勝負がつく。

(4)協力して、研究・開発に携わっていた複数のひとびとが、発明が達成されるやいなや、仲間割れを生ずる。

の4つに分類される。
また大発明や、大発見をめぐる物語ではないが、そしてこれは発明ではなく、発見に関する物語にかぎられているが、

(5)大発見と思ったら、全くのデッチあげ、ねつ造、偽物であった。

というのがある。この5番目は人類の輝かしい成果に関するものではないので、これで1グループをつくるのには異論があるかもしれないが、私はスキャンダルが大好きなのでこれもくわえておく。

昨日は2つと言っといて、きょう5つと言いかえるのは、卑怯だけれども、まだクレームの書き換えが許される期間と思うので、格好を言わずに訂正する。

発明と発見をごちゃまぜにしており、はなはだ粗雑ではあるが、「発明・発見物語は五つに分類できる」というのが、わたしのオリジナルのアイデアであります。(「発明・発見のトラブルに関する小児G分類」と称す)9月9日一部変更。

2012年9月6日木曜日

248.発明・発見をめぐる争いに関する一般法則

 共同研究者のうち一方しかノーベル賞をもらえなかったとき、受賞者が手柄を独り占めしたとか、横取りしたとかの非難をうけたり、特許とその改良特許との間で、血で血を洗う戦いが演じられたり、弟子に無断で先生が単独で特許を申請したり・・・・・輝かしい進歩の物語に黒い影のように点描される負のエピソードをまだしばらくは書き続けるつもりだけれど、同じような話が続くとどうしても飽いてくる。

そこで、ここいらでちょっと一休みして、発明・発見をめぐる数々のトラブルを概括してみよう。

わたしなんぞよりズットえらい先生方があい争うのにはどのようなメカニズムがはたらいているのか。先生方を将棋のこまのようにならべて、大所高所から論評を加え、こっちの先生のひげをひっぱってみたり、あっちの先生に鞭を振り上げさせたりしてみる。

まず私たちは、全く何もないところに輝かしい業績をうちたてることはできないのであって、立派な業績の前には、必ず先行する業績がある。問題は先の業績のうえに何ほどの成果を加えたかということである。この先行する業績を見ると、なかなかどうしてたいしたもので、何年も前にすごい大発見、大発明が大方達成されていたのであって、今回はちょっとそれに薬味をふりかけたところ、たまたま思いがけなく大成果が生まれたが、勝負ははるか以前についていたのではないかと思われることもたびたびである。

つぎに輝かしき大発見、大発明と思っても、次の若い世代にはかなわず、大発見がかすんでしまうような発見や技術の改良があとに続き、状況が一変して、自分の業績なんぞは、予告編にすぎなかったのではないか、と自信を失うこともある。

科学技術の進歩はS字状カーブを描いてレベルが高まっていくのであって、ある画期的業績があると、それがきっかけとなって爆発的に研究成果が積み重なって、「離陸」する。そのうち成熟して、進歩がすくなくなって、プラトーに達する。個々の成果が、このS字状カーブのどのへんに位置するかを判断することは難しい問題である。(1)爆発的進歩の引き金となった画期的成果なのか、(2)この進歩の直前の踏み台となった小さな石にすぎないのか。また、(3)画期的業績を踏み台としているので、かつてないほどの跳躍を達成しているが、所詮後追いの猿真似なのか。

私たちは大科学者や大発明家の英雄譚を通して、進歩の物語を読むので、ワットの伝記の中では、ニューコメンは、ヒトに進化する前のサルにすぎず、ジョナサン・ホーンブロアーはエピゴーネンにすぎない。しかしニューコメンなくしてはワットはなかったのであって、ニューコメンがすべてのはじまりと主張することもできる。ホーンブロアーは複式蒸気機関の発明者としての栄誉をうけてもよかったのに、偏狭なワットによって、破産させられてしまった。

発明に限っていうと、誰かの発明を別のだれかが真似をする。すると必ず何がしかの改良がなされる。完璧な発明はなく、その前の発明が大発明であればあるほと、あとから加える改良の進歩の度合いも大きくなる。したがって、本家より猿真似のほうが機能が優れているのが普通である。

したがって本家より性能がすぐれているからといって、また、その後の模倣者がこぞって、本家のほうでなく、猿真似のほうをまねするといっても、猿真似のほうが画期的発明とは必ずしもいえない。

また先行する発明はその後の改良発明に多大の影響をあたえている。先行発明なくしてその後の改良発明はない。しかしだからといって、先行発明が画期的発明とは必ずしもいえない。抜本的改良が加えられる前の先行発明はお話にならない、劣ったものかもしれない。

発明をめぐる物語は、(1)先行発明者が追随する改良者をおさえて、名誉や金銭的成功を手にいれるか、あるいは(2)改良者が画期的改良をなしとげることによって、先行発明を単なる「予告編」にしてしまったかの物語であって、これ以外のものはない。

その登場人物のせりふもすべてきまっている。発明の物語ほど、登場人物が、以前そのせりふを幾多のひとが繰り返しているのを全く意識せず、自分の心からの意見として、紋切り型のせりふを繰り返している物語はない。



2012年9月4日火曜日

247.ラジコンカー・レース

NHKの以前の夜遅く、単発の趣味の番組があった。それはラジコンカーによる直線コースのタイムを競うレースで、チャンピオンに挑戦者が挑むという趣向であった。

番組は主に挑戦者に密着して取材し、視聴者は挑戦者の気持ちになってしぜん挑戦者を応援するよう、つくられていた。

ラジコンカーでたとえば50mをフルスピードで走らせると、車のスピードに人間の操縦がついていかないという事態が生ずる。単純なレースだが、フルスピードで、しかも最短距離をとって走らせるのはなかなかむずかしいのだろう。

挑戦者のアイデアは車の全長を長くして、舵をとりやすくしょうというものであった。かれは、いそがしい本業の合間に設計し、部品を集める。彼の家庭の様子や、仕事のアウトラインが映像で描かれる。それによって、勤勉な一日本人が、余暇に情熱の一部を趣味に注ぐ様子がわかる。

一方チャンピオン側の描写は少なく、彼がひとり机に向かう姿が短時間うつされるだけだ。かれはラジコンヘリコプターのジャイロ装置をラジコンカーに応用して、ある程度自動的に舵が取れるようにしょうとしていた。

できあがった挑戦者の車体は、仕上げからして自作とは思えないほど立派なもので、視聴者はびっくりし、あらためて、彼の実力を認識し直す。

試合の当日になると、チャンピオンと挑戦者(ともに30代でしょうか)は、親友のように挨拶を交わす。挑戦者は緊張して、すこし上気している。それにたいし、チャンピオンは全く屈託なく、あいそよく、うれしそうである。ちっともファイトを感じさせない。(非常にハンサムな顔立ちである。)

試合はあっけないもので、チャンピオンの圧勝である。チャンピオンの車は当然のようにまっすぐコースを駆け抜ける。それに対し、挑戦者の車ーかれの努力の結晶ーは無念にもコース脇の草むらに突入し、大きくタイムをロスする。緊張して操縦を誤ったのかもしれない。

試合後、挑戦者はチャンピオンと握手を交わしながら、脱帽したように頭をさげるが、チャンピオンはえらぶることなく、あくまで平常心である。かれはあいそよく「楽しかったですね」というが、試合前の態度と全く変わりがない。

再会を約して二人は別れ、番組は終わる。・・・・・私の感じたことは二つのことである。

(1)チャンピオンのように礼儀正しく、愛想よく、社交的で、天才的で、ちっとも苦労したところを見せないのにいつも勝ってしまう人種がいる。私にはけっしてマネできないが、世の中はそういう人たちが動かしているのかもしれない。

(2)ラジコンヘリコプターのジャイロ装置をラジコンカーに応用すれば、勝つのは当たり前である。卑怯とも言える。ジャイロ装置をラジコンカーに応用するにはそれなりの苦労がいるが、達成された成果は、ふたつの技術の融合であるから、圧倒的である。新しい技術には飛びついて、自分の分野に応用が効かないか、常に検討しないといけない。しかしそうして技術的に他を圧倒するということは、何か卑怯な感じもする。ダビデは石投げ紐で巨人ゴリアテを倒した。ゴリアテは石投げ紐というような「文明の利器」は見たこともなかったのである。私たちがダビデを見習うことは、卑怯者を目指すことである。技術とはアイデアとは卑怯者になることである。

2012年8月31日金曜日

246.後援者が手柄を横取りする

ジュール・ベルヌの「地底旅行」に、地底に大きな海があって、主人公たちが、その海をいかだで航行していると、いきなり古代の蛇頸竜と魚竜が水面に躍り上がって、死闘を演じる場面がある。

しかし、なぜ水棲爬虫類なのだろうか。ティラノサウルスとトリケラトプスが地底の砂漠で砂塵をまいて格闘するほうが迫力があるのでは?と思うが、ベルヌが「地底旅行」を書いたころには、まだこれらの恐竜の化石は発見されていなかった。発見されていたのは、イギリスの海岸で、水棲爬虫類(プレシオサウルスとかそのしんせき)のばっかりだった。と、ここまでは以前読んだ本の受け売りである。申し訳ないが、その本の題名は忘れた。(SFクラブなどで、この問題をクイズとして出すと受けるかも)

イギリスの海岸で、これらの巨大な爬虫類の化石を見つける名人がいたことが「メアリー・アニング」に書いてある。この題が示すようにこの名人は女性であった。彼女は貧しかったので、海岸で化石を見つけては、その地の名士に買ってもらっていた。

メアリー・アニングから化石を買っていた男は金持ちで紳士で、素人科学者でもあり、巨大爬虫類の化石を地方のアマチュア科学者の集まりで発表していた(名前は忘れた)。なさけ深い性格であったので、つねにメアリーに財政的援助をしていた。(別に下心はなかった)ところが長年の間に多くの化石が集まったので、一念発起してこれらについてひとつの論文を書いた。その中でこれら古代の巨大生物の化石はすべて自分が発見した、と書こうとしたので、事情を知っている周囲から、あまりにひどいと止められたそうである。女性だし、下層階級だし、普段自分がなにかと生活を助けているというので、手柄をパクッテも文句は出まいと思ったのだろう。

このように人間は親切に教えてくれた人を出し抜いたり、自分が世話をしてやっている人間を、それだからよかろうと、手柄をかすめ取ったりするのである。(以前に読んだので内容に誤りがあるかもしれない。)

人は誰によって殺されるか、知り合いか、全く見ず知らずの他人によってかということを調査すると、圧倒的に殺人は知り合いによってなされるそうである。これもクイズになるかもしれない。

ついでに。「何千万年か前にガメラという古代のカメが地球上に生息していた。ホントか。ウソか。」というクイズの答えは、「ホント」なのであるが、その理由が「史上最大の恐竜発掘」(新潮文庫)に書いてある。

245.教えてやった若者に出し抜かれる

「世界を変えた発明と特許」には、ライト兄弟のところへ、のちにエルロンの発明者となるカーチスが飛行機の作り方を教わりにくることが書かれている。兄弟は飛行機が風をうけて傾いたとき、左右の翼の迎え角をかえて、揚力を変化させ、飛行機の姿勢を回復することがポイントだと教えてやった。「私たちの特許の文章をよく読むんだね。」

ところが2年間でカーチスはライト兄弟の飛行機に引けを取らない機体をつくりあげ、ライト兄弟が秘密主義であまり飛行機のデモンストレーションを行わなかったのに対し、遠慮なく飛び回ったので、カーチスが飛行機を発明したという評判がたつにいたった。

ライト兄弟はカーチスの飛行機の特許は自分たちの模倣であるから無効であると裁判に訴えたが、その過程で、自分たちの発明の請求(クレーム)の範囲をたびたび修正して、カーチスの考案したエルロンも、請求の範囲に含まれるようにした。そのころは請求の範囲を修正することが認められていたらしい。

「世界を動かした発明と特許」には、ライト兄弟とカーチスの特許の図が両方載っている。それを見ると、ライト兄弟を応援したい私たちは、少し救われたような気になる。カーチスの特許書類の図はエルロンのほかはライト兄弟の機体そっくりなのだ。カーチスが模倣したのは明らかだという感じがする。

ライト兄弟の飛行機は現在のわれわれの目からするとちょっと変わっている。頭あげか頭下げかのかじをとる小さな翼が、現代の飛行機では主翼の後ろにある(水平尾翼)のに、兄弟のは前にある。そして左右のかじをとる小さな縦向きの翼は現代の大方の飛行機と同じく主翼のうしろにある(垂直尾翼)。すなわちライト兄弟のは主翼の前に水平尾翼の働きをする翼のあるカナード式で、垂直尾翼は水平尾翼と分かれて後方にある。カーチスの機体はこの3つの翼の配置が、ライト兄弟の機体と全く同じである。

ライト兄弟の特許の図は機体の右前やや上方から見た図だが、カーチスのは左前方やや下方から、丁度地表から見上げたような図になっている。ライト兄弟機とソックリなのを隠すために小細工をしたように見える。(模倣者はいろいろ小細工をするが、まねされたものが見ればすぐわかるものである。)

なぜカーチスはライト機とそっくりな機体しか作れなかったか。主翼の揚力が操縦士によって左右変えられるようにして、飛行機の姿勢を操縦できるのがポイントだということを教わったのだから、それ以外のところは、自分で自由に変えられるはずではないか。多少外観を変えたほうが、模倣したことが目立たないのではないか。

カーチスはポイントを教わったので、かえってポイント以外の機体部分を変更することができなくなったのだと思う。

ライト兄弟以前にはだれも機械によって空をとぶことができなかった。克服すべき困難のポイントがどこにあるかがわからなかった。エンジンの馬力が足らないのか、翼の形状が悪いのか、機体が重すぎるのか、このように問題点が数多くあると、どこから手をつけていいかわからず。その前で座り込んでしまうことになる。とてつもなく困難な課題のように思える。

ライト兄弟は、問題は操縦性にあるということを示した。エンジンも翼もとくに製作に高度な技術がいるというのではなかった。翼の形、大きさなどは、かれらが自作した風洞によって計算された、かれらなりにベストを尽くしたものだったけれど、出来上がりをみると、彼らしか作れないものではなかった。カーチスは肝心の翼の揚力を変える構造については、エルロンという、かれなりの改良を思いついたけれども、機体のそれ以外の部分が、どれほどの必然性を持っているかはわからなかった。要するに下手な変更を加えると、飛ばなくなるかもしれないので,変えることができなかったのだと思う。

実際に飛んでいる機体があるということは、それそっくりに作れば飛ぶということである。それをすこしずつ変更して飛ばせば、どうするとより良く、どうすれば悪いかがわかる。最初に飛行に成功することがいかにねうちのあることか。

カーチスの改良は誰もが利用せずにはいられない重要なものだった。第一次大戦に参戦し、飛行機を量産する必要のあったアメリカ政府は手打ちを行った。ライト兄弟とカーチスとその他の飛行機に関する特許をプールし、飛行機を製造するものは、1機あたりいくらかの特許使用料を支払い、その特許料は、ライト兄弟にもっとも多く、ついでカーチスにというように差をつけて支払われた。ライト兄弟が一定額を得たあとはカーチスが優先的に特許料を手にいれた。こうして、画期的な発明を成し遂げた者と、その重要な改良者がともに報酬を得るしくみができあがった。

2012年8月28日火曜日

244.アイデアか技術か2

「ノーベル賞ゲーム」では、前項で要約したインスリンの発見には、マクラウドのチームとくにコリップの抽出技術が大きく貢献していると考察している。

バンティングの提案後わずか2ヶ月で、血糖を下げる標品が得られたことから、かれのアイデアが決定的であったと考えられる。また、マクラウドの夏休み中に膵臓抽出物によって血糖が下がる実験結果が得られていた、という話からは、「マクラウドの受賞はおかしい」とするバンティングの主張はもっともなように思われる。

さらに、一介の外科医であっても、着想さえよければ、ノーベル賞に値する研究成果を得ることができる、ということは、一般開業医にとっての希望=夢物語として広く受け入れられた。

しかし関係者の研究ノート、手紙などの資料をくまなく調査した医療ジャーナリストの結論は、それほど単純ではなく、マクラウドのチームの貢献も大きく、アイデアだけではだめで、アイデアと技術の両方が必要であったこと、当時の受賞者としては、抽出チームの代表として、また実験治療計画の中心としてのマクラウドが受賞したのは順当と結論づけている。

マクラウドは2ヶ月のうちすくなくとも1ヶ月は大学にいて、研究の基本方針について指示をあたえたこと、バンティングは最初膵臓を移植することによって、糖尿病を治療するつもりでいたこと、バンティングとベストの調製した抽出物は、発熱や傷みをひきおこすだけで、血糖をさげず、血糖降下作用はコリップの抽出物によって始めて観察されたこと。バンティングは抽出方法がわからず、コリップを詰問したこと・・・・。

バンティングは研究の途中で、マクラウドが手柄を横取りし、アイデアだけの自分はほうりだされてしまうのではないかという恐れに取り付かれ、その気持ちはコリップに伝染して、抽出方法を秘密にさせた。血糖降下作用が観察されたのをきっかけに仲間われがはじまった、といえる。

アイデアと技術の両方が必要である。とわれわれは考えておこう。

243.アイデアか技術か または 宝の山を前にして仲間割れする

インスリン発見の物語は、画期的な技術や真理の発見にアイデアが大事か、それともアイデアを実現する技術が大事かというテーマを考えさせる。

「ノーベル賞ゲーム」の最初の2章はこの事件について紹介し、考察をくわえている。へたな要約をする。

インスリンは膵臓のランゲルハンス島に含まれるホルモンで、血糖を下げるなどの働きをする。膵臓を摘出したイヌは糖尿病になることが知られていた。しかし膵臓から血糖を下げる働きをする成分を分離することはなかなかできなかった。膵臓は消化酵素を分泌する臓器でもあり、膵臓をすりつぶしたりすると、消化酵素が「血糖低下成分」をこわしてしまうからである。

カナダの外科医バンティングは、消化酵素の出る膵管の出口を外科手術でくくってしまうと、消化酵素が逆流して、膵臓の消化酵素製造部分は死んでしまい、「血糖低下成分」だけ残るだろう。そうすれば「血糖低下成分」を取り出すことができると考えた。

かれは糖尿病の権威であるマクラウド教授を訪ね、研究施設と実験助手を貸してほしいと頼んだ。マクラウドはこのような試みが世界中で行われており、ことごとく失敗しているので、バンティングのアイデアにたいしてはきわめて冷淡であったが、夏休みの間だけに限って施設を使うことを許可し、学生ベストを助手としてつけてやった。これに抽出技術にすぐれた研究者コリップが自分から希望して加わった。

外科医バンティング、マクラウド教授、学生ベスト、研究者コリップ、こうして役者四人がそろった。

マクラウド教授が夏休みから大学に戻ると、バンティングとベストが手術したイヌの膵臓からコリップが抽出した成分が、糖尿病の犬の血糖値を下げる成績がえられていた。マクラウドはその物質をインスリンと名づけた。かくてバンティングの提案からたった2ヶ月で血糖低下成分がえられ、実験的に投与を受けた少年は死をまぬがれた。大学病院あげての臨床試験が行われ、死に瀕していた患者たちは劇的な回復を見せた。イーライ・リリー製薬会社が製品の製造を申し出て、インスリンが広く治療に用いられた。その時代の内科医は、死病と考えられていた病気から、枯れ木がよみがえるように患者がつぎつぎ回復していく奇跡をまのあたりにみることになった。

1年後、異例のはやさで、インスリンの発見に対し、ノーベル賞が与えられた。受賞したのはバンティングとマクラウドであった。

バンティングは直接実験に携わっていないマクラウドが受賞した事に反発し、自分のもらった賞金の半分を学生ベストに与えた。

マクラウドもバンティングのこの行為に反発し、自分の賞金の半分をコリップに与えた。

バンティングとマクラウドは決裂し、一生和解しなかった。共同研究し、ともにノーベル賞を受賞したメンバーが、発見の寄与度について、決定的なケンカをした有名な事件らしい。(つづく)



2012年8月24日金曜日

242.レーザー・カッター

糸鋸を使うのが億劫になってきたので、レーザーカッターなる物で簡単に切り抜けないか、とネットをいろいろ見て回ったが、はっきり値段が書かれていない。

しかしどうも数100万円くらいするようだ。とんでもないよ。プロの道具であって、しろうとが趣味で使えるものではなさそうだ。

大体これを使うのはコンピュータが扱えないとだめなのだ。それもブログが書けるといった甘っちょろいのではだめで、まずCADが使えないとだめだ。そのうえ、CADデータをもとにして、レーザーで切るためのソフトウェアを扱えないといけない。、これが名前さえ憶えられないような難しいものなのであって、しきいが非常に高い。

だいたい、このソフトウェアの壁が立ちはだかっているために、使える人が少なく、したがって需要が少なく、台数がはけないので、値段が安くならないのだ。そんなソフトウェアが本当に必要なのか。理論的にはレーザーを鉛筆の先に取り付けて、お医者さんがレーザーメスをつかうように、厚板をすいすい切り抜けるはずである。そのくらいの精度で十分な場合もけっこうあるはずだ。

そこで私のアイデアだが、まずレーザーカッターにコピー機を取り付けて、今は公表できない秘密の方法によって、コピー機のデータどおり、すなわち原稿どおりに5mm厚のMDFが10分で切り抜けるようにする。

これをクルマに乗せて、カルチャーセンターの夏休み工作教室に行き、子供に護謨**の部品の図を定規などを使って書かせ、10分で切り抜いてやる。原稿の大きさはA4サイズときまっている。原稿に間違いがあっても、全くそのまま切り抜かれてしまうが、それは現在のコピー機と同様である。1枚500円なので、工作好きな少年はあらそってこれを使い、数ヶ月で元をとり、その後は丸々もうけとなる。各地でこのようなビジネスが立ち上がるとレーザーカッターの値段は1年で10分の1になる。家の中にへんなかたちをした板切れがごろごろ転がって、踏みつけると痛いが、日本のものづくりの復権のため、次代の少年たちを作るためと思えば、たいした犠牲ではない。

2012年8月22日水曜日

241.多少の協力はしたんだけど

発明で巨万の富を築いたひともいれば、世紀の発見で栄誉に輝いた人もいる。しかしこれらの発明や発見の近くにいて、多少の貢献はしたのに、全く金にも名誉にも縁がなかったひともあるようだ。

そんな話を聞くとほっとする。凡人の悲しさかもしれないが。気持ちのバランスをとるために、そんな話しも必要である。(うろ憶えなので、信じないように。いっそウソと思ってもらったほうがいい。WEBは、書籍や雑誌とちがい、編集者のチェックがはいらないので、間違いだらけだ。)

蛍光蛋白質というものがあって、蛋白質そのものが光る。この蛋白質を細胞にとりこませると、細胞のいろんな器官が光り、研究の助けになる。蛍光蛋白質をこのように細胞の研究に応用する道を切り開いた人たちはノーベル賞の栄誉に輝いた。蛍光蛋白質の基礎的研究をしていた人も。

しかし細胞学への応用研究に必要な「蛍光蛋白質の遺伝子」を分離し、かれらにその遺伝子を快く無償で提供した研究者は、賞の対象にならなかっただけでなく、失職し、運転手をされているそうだ。そのひとは自分が賞から漏れたことを恨みに思ってなどいない。「ちょうど、あのとき、研究の資金が打ち切られることが決まっており、研究をやめる前にその成果を利用してくれる人がいたら、だれでも喜んで提供しただろう。」と言っているそうだ。(何の本で読んだか忘れてしまった。)「まあ、ノーベル賞をもらった連中がもし私を訪ねてくるようなことがあれば、昼飯くらいおごってもらう資格はあると思うけどね。」

「昼飯くらいおごってもらってもいいけど。」・・・それもなかなかいい台詞ではないでしょうか。

(240項で言及した時計職人の陥った心理状態、これを日本人は「功名心にはやる」といって戒めてきた。オウム真理教の幹部の人たちが、教祖の前で陥った心理状態もこれである。ブログで気の効いたことを書きたいという気持ちも結局これだろう。)

記事の誤りをただしておく。(1)蛍光蛋白質を細胞の中にいれるのではなく、調べたい蛋白質の遺伝子に蛍光蛋白質の遺伝子をくっつける。(どんな蛋白質も光らせる「遺伝子の蛍光遺伝子部分」というものがあるのかもしれない。がよくわからない。)この遺伝子を細胞に導入すると、目的とした蛋白質が光るので、その局在や動きをみることができるということだった。(2)遺伝子の供給をうけ、その応用を確立した研究者たちは、ノーベル賞の授賞式に、遺伝子を提供してくれた研究者を招待した、と書かれた本もある。(2012.8.28)

2012年8月21日火曜日

240.相談した人にパクられる

ダーウィンは進化論のアイデアを若いときビーグル号の航海以来もちつづけており、その考えをまとめた書物の出版も計画していたが、それこそ何十年も、実際に出版はせずほっておいた。

彼は、金持ちであって、大学の教官などではなかったから、誰と張り合って業績をあげようというのでもなかった。かれは進化論の傍証となるような研究をこつこつやって積み重ねていた。進化論以外の研究でも、業績をあげ、学問的に評価されていた。また、気のおけない若い友人と、進化論について(ひそかに)つねに議論して、自分の理論に磨きをかけていた。かれはその気になれば何十年も前に進化論を発表することができたが、そうせずに、後から思うと、ぶらぶらしていた。

ところが若い研究者のウォーレスが進化論の考えを聞いてもらって、ダーウィンの意見を聞きたいと思って訪問してきたとき、ダーウィンは自分以外に同じような考えの後輩の学者があらわれたのにびっくりした。

そこからあとは、電光石火。1週間くらいで、予定していた著書の抜粋を「種の起源」としてまとめ、ウォーレスに言わずに、自費出版した。

この出版のさいにダーウィンのとった態度は、少々紳士的でないといわれている。出版を知ったウォーレスは、一瞬「ダーウィンにパクられたか」と思ったのではないか。(ワタクシの想像)。ダーウィンはもっと横綱相撲をとってもよかったように思うが、最後の最後にさすがのかれも研究者のエゴがでたのだろう。ダーウィンが以前から進化論の考えを持っていたことは、別の友人の証言があるので、かれはアイデアを盗んだのではない。しかし、ちょっとゆっくりしすぎたとあせったのだろう。

ウォーレスは謙遜な人柄でダーウィンを非難せず、むしろいつもダーウィンをたてた。ダーウィンも貧しい階級出身のウォーレスの活動を助けた。一種の美談になっているが、自分が相談に行った相手が、丁度同じ研究をしていて、そのままパクられることもけっこうあるようだ。

「誰が本当の発明者か」(ブルーバックス)に、時計のエスケープメントの画期的な改良をおもいついた若者が高名な時計職人に相談に行くと、大家先生はそのままパクって雑誌に発表してしまった話が書かれている。無名の若者だと泣き寝入りするだろうと、見くびられたのである。若者はひるまず、訴え出て、正当な権利が認められたそうである。

「こいつの発明は、自分がいままでやってきたことより、値打ちのあることかもしれんぞ。おれは一体いままで何をやってきたのだろう。声望をうたわれたおれが、こんな小僧っこに及ばないなんて、なっさけない。それにしても、自分はいま時計の歴史で重要なポイントに立っているのかもしれん。この発明がきっかけで、どんどん技術が進んで、世界中の時計がガラッと変わったものになるかもしれない。もしそうなら、この歴史的転換点におれも是非一役演じたいものだ。これは神様が俺に与えてくれたチャンスなのかもしれん。」などと考えているうちにだんだん欲が出て、(欲に目がくらんで)悪いことをやってしまうのだろう。こういう心理状態になったら気をつけないといけない。

2012年8月16日木曜日

239.ブローバック・モデルについて

2年間、護謨鉄砲の記事を見なかったが、2010年秋に、拳銃の形をして、ブローバックする作品ができていたようだ。

この動画がyoutubeなどで、検索の上位に出てきて、簡単に見られるようになっている。何種類もあり、いろいろな拳銃モデルを作っている。排莢するような調子づいたようなモデルもある。これらを視て、その迫力に圧倒され、どういう仕掛けになっているか、考える余裕もなかったが、わかる範囲で考察しょうという気になった。

考察といっても、作者(断然マスター氏)がいろいろヒントをかいており、ヒントが書かれた部分だけは理解できるというに過ぎない。

d.hatena.ne.jp/dungeon-master/20101024/p1  にある画像を改変して引用する。(これは画像のいわばパロディであって、盗用ではありません。)
ブローバックモデルのパーツを並べた画像と、パーツを組みあげた画像の上半分どうしをならべて作った画像。上のパーツには見慣れた回転翼(4枚羽根)とこれとエスケープメントを構成する部品が見られる。フロントエンドもスライド先端に見られる。これらを組み立てたものをみると、これらはすべてスライドに付属している。すなわち回転翼式連発護謨**に必要な3要素がすべてスライド側にあるわけで、スライドだけで、護謨**のはたらきをする。いま弾丸を装填して、スライドを片手で保持して、もう一方の手で赤線でしめした下向きの突起を上方へ押し上げて発射させることができる。

ブローバック式護謨**というのは回転翼式護謨**を拳銃のスライドの中に収めて、この護謨**全体を前後に運動させて、実際のガンの動作を真似ようというものである。

そのブローバックの仕組みというものは、さっぱりわからない。ただわかるのは、スライドを動かすエネルギーの出所である。作者自身が、引き金の動きがスライドの動きのもとになるとか、遠因になるとか、ぼやかしたような表現であるが、一部種明かしをしてくれている。

電動ブローバックと銘うったエアソフトガンの1群があり、その場合のブローバックのエネルギーの
もとは電池の電力であろう。

この場合電池は使っていないから、指の力しかないが、もとは指の力であっても、もしその力で護謨を引っ張り、ある瞬間に解放して瞬間的にブローバックを行っているのであればたいしたものだ。引き金がすごく重いにしても。もし引き金を急速にひき、それを増幅してスライドが急速にブローバックしているように見せているだけだったら、WEB上の一発芸(連発しているが)であって、ゆっくり引き金をひくと、スライドの動きもゆっくりになり、ブローバックに見えない。そのどちらのしかけになっているかかはわからない。
部品が多く、それぞれのはたらきはほとんどワタクシにはわからない。したがって前者である可能性もあり、その場合は100点満点だと思う。

動画でみると、スライドは前方に護謨の弾力でつねにひっぱられているように見える。だから後方への動きをも別の護謨に蓄えられたエネルギーの解放によって行うのは難しいだろう。
(1)スライドを輪ゴム1本で前方に引っ張っておく
(2)引き金を引いて輪ゴム2~3本にエネルギーを蓄え、瞬間的に解放してスライドを瞬発的に後方へ引っ張る。スライドが最後尾までくると輪ゴム2~3本との連結がきれ、スライドは前進しはじめる。
(3)スライドが最先端にあたっても跳ね返らない。

そんなことができるのだろうか。

とにかく、こんなものは、いろいろやって遊んでいるうちにひとりでにできたものでは絶対ない。最初は核となるアイデアの生かし方をいろいろ考える段階があっても、いったんある程度の構想がまとまったら、目標を定め、問題点をひとつひとつシステマチックに解決していってできたものと思う。いくつか問題点を解決しているのであって、その開発力はちょっと真似できない。あとからみてわからなくとも仕方ないと思うね。

2012年7月31日火曜日

238.「向き」と「方向」を区別することについて

233項で連発と連射は違うと書いた。「向き」と「方向」を区別することについて書く。

高校の物理の先生に教わった。

直線は方向を持っているが、向きはきまっていない。
上下方向とは、上向きと下向きを包含した概念である。
機械は往復運動をすることが多いので、方向という言葉が便利である。
私はエンジンのことはさっぱり無知だが水平4気筒とはピストンが水平方向に往復運動するよう配置したものと思う。
日常会話では方向を向きの意味でも使う。「方向転換」「進行方向」とは、「向きを変える」「進んでいく向き」のことである。
私の学んだ物理の先生は、「方向」と「向き」を区別して使い、厳密な議論のときには、「方向」を「向き」の意味では使わないという考えであった。

実際の社会ではこのような意見が述べられることは殆んどない。このことに注意して文章を書いているなと感じることは一度もなかった。(正しく書かれている場合は読み手に意識させることなくわからせるのかもしれない)

しかし、ワタシはなるべく、この教えを忠実に守ろうと思っている。

何年か前に、護謨連発銃の分類を勝手にして、「前後方向連発」、「左右方向連発」、「上下方向連発」といった勝手な分類を「連発」したが、これらの造語は、いちおう「方向」と「向き」を区別して使おうと考えている者が書いたのであります。

歩行者のための陸橋に、お年寄りや身体の不自由な人のためのエレベータがついていることがある。私はこのようなエレベータで入り口/出口が前後2つついた変わったものを知っている。

普通エレベータは入り口/出口はひとつで、奥は行き止まりとなっている。ところが、この変り種では、1階で乗り込むときには、西側の入り口から乗り込む。そして出るときは東のもうひとつの入り口から出るのである。このように入り口/出口が2つあると、なにか不安な気持ちになる。2階に上がったとき、間違った入り口を開けるとその外には何もなく、落ちてしまうような気がする。

その不安を解消するためか、2階に上がって、ドアが開く直前、「チャイムの鳴った方向のドアが開きます。」と録音された音声のアナウンスがある。これがさっぱり要領を得ない。

まず狭いエレベータ内でチャイムが響くと前で鳴っているのか、後ろで鳴っているのか、よくわからない。

またドアには「乗り込んだ方向のドアが開きます」と貼紙がしてある。「乗り込んだ方向のドア」とはどっちのドアなのか、とっさにはわからない。かえって混乱する。「チャイムの鳴った方向云々」という音声のアナウンスのほうは意味はともかく、普通のドアの開き方とは違うなということを乗った者にわからせる働きはする。つぎの瞬間正面のドアがひらくので、客はまちがうことなく、出ていけるのである。

ところが貼紙のほうは余分の処置であるばかりか、客をかえって混乱させる。ここは「乗り込んだ反対側のドアが開きます。そのままのからだの向きでお待ちください。」と書くべきなのだ。ここでは向きが問題なのであって、「方向」という言葉は不適当である。、「方向」という言葉は、向きの意味でも使うが、その意味で使うばあい、必ず、右の方向とか、上の方向とか、向きを示す形容詞(連体修飾語?)をつけて使うべきである。方向とは、本来、「前後方向」のように、ある向きとその反対の向きを合わせた概念であって、向きを厳密に説明する場合に使うべきではない。

「方向」は漢語(和製漢語?)で、「向き」は大和ことばである。われわれ日本人は「向き」に相当する漢語をもたない。だから鹿つめらしく言うとき、「方向」を「向き」の意味で使う。そのため、たまに混乱が起きる。


上の写真を見ると、「正面のドアが開くと書いてあるのだから、この貼紙のあるドアから出ればよいのであって、何も不都合な表示ではないじゃないか。」と思われるかもしれない。しかし反対側から乗った場合はどうだろう。その場合も正面のドアにはこれと同じ表示がしてある。したがって、いったん間違ったドアに向かうと、まちがったドアが正面のドアになってしまい。間違いにきづかなくさせる。正面のドアなるものが2つあるのである。いっそドアの色を変えて、「赤いドアから乗った場合は、青いドアから、青いドアから乗った場合は赤いドアからというように、乗ったのと違う色のドアから降りてください。」と掲示したらよいのではないかと思うくらい

2012年7月25日水曜日

237.エジソン2

子供のころ読んだエジソンの伝記の中では、かれは「時計をみるな。」と言っていた。子供のときはその意味はよくわからなかった。大人になってみると、その意味がよくわかる。われわれは、仕事に気が乗らぬときには、終業時刻はまだかと、時計ばっかり見て、働いている振りをする。かれは仕事に熱中して時の立つのも忘れるほどの熱心さをスタッフに求めたのである。

かれは、また『発明のコツは1%のinspirationと99%のperspirationだ」とも言った。遮二無二がんばるうちにインスピレーションがわくのであって、アイデアがわくのを待っていてもダメだといいたかったのだろう。

エジソンはまた、研究所のスタッフに仕事の進み具合を尋ねたときに、いろいろと困難な点をあげて、泣き言をいうスタッフをきらったそうである。苦しくとも知らぬ顔をして、常に「うまくいっています!」という職員でないと機嫌が悪かった。発明は困難なものだから、楽観的でないといけない。(怖い上司ですね)

「世界を変えた発明と特許」には、エジソンがそれまでの電灯の論文を徹底的に集めてから、
研究をはじめたことと、大学の教授と知り合いになって、つねに学問上の新しい動きをつかもうと
していたことが書いてある。

ただ闇雲に試行錯誤をくりかえしたわけでもなさそうだ。

また他人の特許に対抗して、それと同じ機能を別のもので代用して、特許を回避するような
えげつないようなこともしている。ニールス・ボーアにおそろしい質問をして本気で
立ち向かっていくアルベルト・アインシュタインのようだ。

NHKのBS放送で先日、エジソンの番組があった。ふたりの解説の先生が出ておられたが、
番組中のコメントには目新しいことがなく、お二人が本当にエジソンが好きなのか、よくわか
らなかった。

2012年7月22日日曜日

236.型破りエジソン

今は無き現代教養文庫に「五人の大発明家」というのがあった。クラウザー著。Amazon に古書が出品されている。

5人というのは、ジェームス・ワット、ジョージ・スティーブンソン、トーマス・エジソン、無線電信のマルコーニ、ともうひとりであった。失念してしまった発明家はたぶんグラハム・ベルと思うがはっきりしない。

ワットがやかんのフタが持ち上がるのをみて、蒸気機関を思いついたというようなエピソードはこの本には載っていない。これは後世のでっちあげなのだろう。

この5人の中でエジソンがとびきりおもしろい。というのは、彼の人生そのものが劇的だからである。

彼は学校でへんな質問ばかりするので、先生を怒らせてしまい、トーマスの母親は彼を学校へ行かせず、自分で教育した。

かれは15歳で新聞を発行して、鉄道の客に売ることをはじめた。

貨車の中で化学の実験をしていて、火事を起こし、車掌になぐられて、一生耳が遠くなった。

駅長の子供が駅の構内で機関車にひかれそうになったのを、身を挺して救い、感謝した駅長にモールス信号を教えてもらい、電信技士になる。(耳が遠くなっても電信は聞き取れたらしい)

電信技士になって各地を渡り歩いたが、夜中に来る電信をいちいち起きて聞きとらなくてもよいように、紙に記録する機械を考案するなど型破りな技師であった。(電気信号を記録する考案は、のちの蓄音機や電話の送話器の発明に通ずる。)

そのころ、電信で株式の情報を受信し、表示する機械が発明され、ある町でエジソンは、その機械が動いて、株価がつぎつぎ表示されるのを見ていた。するとかれの目の前でその機械が故障した。しらせをうけて駆けつけた経営者は、部下の技師たちに、早く直すようにと叱咤激励した。

よくわからないが、その株価表示機が動かないと、株価の変動にあわせて、株を売買することができず、その機械に頼って大きな取引をしている者は大損するようなことになっているらしい。ところが、何人もの技師がとりかかったにもかかわらず、だれも直すことができなかった。経営者は自分が長年築き上げた財産が数時間のうちに雲散霧消してしまう現場を自分で目撃している事態に絶望して立ち尽くした。

エジソンは横から機械を見て、故障の原因がわかった。かれは経営者の方へ行き、自分はこの故障を直せると思う、と言った。「直してくれ!直してくれ!」
と経営者は叫んだ。
エジソンが機械をちょこちょこっと直すと、機械はまた正常に動き出した。生き返った思いの経営者は、エジソンを技師として高給で雇ってくれた。

エジソンは勤務の合間に電信の発明をなしとげた。発明を買う人が現れたが、自分の発明を売るのははじめてのエジソンは、その額の見当がつかなかったので、自分から額を言わず、
「あなたはこの発明をどれだけで買うつもりですか。」
とたずねた。買い手の提示した額は、エジソンの考えていたのよりも桁ちがいに高額だった。

エジソンは巨額の小切手を現金化することを知らず、雇い主に現金化してもらったが、それを銀行に預けることをしらず、自宅に持ち帰って、盗まれることを心配して夜も眠れなかった。

エピソードのつるべ撃ち。とくにエジソンが世に出る前がおもしろい。これ全部がワットのやかんのフタのように後世の人の作り話とはとても思えない。

2012年7月17日火曜日

235.つきが落ちないように

写真の発明の歴史に興味深いエピソードがある。フランス人ダゲールはヨウ化銀を塗布した
感光板に感光させ、水銀の蒸気をあてると像が発現することを発見した。

以下、昔読んだ本の記憶と、ネットの記事を参考に書くので、細かい点は(そして大筋でも
)間違っているかもしれない。けっしてこのまま引用しないようにしてください。

かれは感光した板を薬品棚の中にいれておいた。翌日かれは感光板に像が現れている事を
発見して驚愕した。そして薬品棚に並んでいる薬品のうちのひとつが、感光板のヨウ化銀と
反応して、像を現したものと推理した(たぶん観音開き式の扉のついた薬品棚だったのだろう。)。

そこでダゲールは毎日1枚、感光板を薬品だなに入れ、毎日ひとつずつ薬品を除いていった。
何日かそれを続けたが、相変わらず、像があらわれた感光板が手に入るだけだった。
そしてある日、薬品棚から水銀のビンを取り除いた翌日、感光板には、像が現れて
いなかった。
水銀のビンを薬品棚に戻すと、感光板上にも元どおり像が現れた。
問題の薬品は水銀であり、水銀の蒸気にあてることにより、感光したヨウ化銀に像を結ばせる
(現像する)ダゲレオタイプの発見である。

ここからが私の感想だが、このエピソードが後世の作り話かどうかは別にして、問題の薬品の
追及のしかたにはリアリティがある。毎日1枚というところに発明者の慎重さがあらわれている。
いちばん早く問題の薬品をつきとめようとすれば、もっと気の利いた方法がある。
同じ薬品棚を購入し、薬品の半分を第二の薬品棚に移す。薬品棚ごとに感光させた感光板を
1枚ずつ入れる。1日たって現像しなかった棚の薬品はすべて除外できる。こうすると1日ごと
に候補を半減できる。かりに32の薬品があったとしても5日目には問題の薬品がわかる。
ただし、5日目までわからない。

ダゲールの方法だと最短で1日、最長で32日で薬品の見当がつき、翌日確認できる。平均
16日もかかる。

しかしダゲールは、発明の歴史が伝えるような方法をとった。なぜか。かれは幸運の女神を
絶対逃がしたくなかったのである。(と思う)

ダゲールの協力者というより師であるニエプスは、ヨウ化銀法の
アイデアをノートに書いていた。しかしニエプスはヨウ化銀法を断念したまま、世を去って
しまった。
ヨウ化銀を感光物質にするのは、ダゲールのアイデアではなかったのである。彼はアイデア
をパクって、実現させただけだ。アイデアの持ち主は実現できないまま、世をさり、そのノート
を手に入れた共同研究者ダゲールがその果実をもいだ。発明の女神は気まぐれであることを
ダゲールは知っていた。発明の女神の機嫌を損ねてはいけない。もし薬品を半分にわけ、
それぞれに感光板をいれた場合、2枚とも現像しなかったらどうするか。沢山の薬品のうち、
2つの相互作用で現像がなりたっているかもしれない。あるいは薬品棚の内部に塗られた
ニスが主なはたらきをしている可能性も全くないとはいえない。条件を急激に変化させることは
危険である。

ダゲールの方法をとると、なかなか原因薬品の特定はできないが、現像は毎日起こっている
のだから、宝の山に近づいていることは毎日確認できる。現像の条件を少し変更しただけだ
から、高い確率で現像はおきる。毎日現像が確認できることはよいことだ。はやる心を
おさめてくれる。そんなもの2回やれば確認できる、毎日確認する必要はないと思うだろうか。
それは結果を知っている者の考えである。成功するかどうか、行く手の見えない者の考えで
ない。何年も失敗を重ねた者の考えではない、と私は思う。

2012年7月16日月曜日

234.コロンブスの卵

昔、マツダのロータリーエンジンの開発秘話を読んだ。成功したいちばんのポイントが何であったかなどはわすれてしまった。

憶えているのは、「開発が成功することがはじめからわかっておれば、だれでも開発することができる。難しいのは、果たして成功するかどうかは、だれもわからないからである。」ということだ。

その本に書いてあったことだが、詰将棋の問題を示して、「ちょっと難しいけど詰むからやって御覧」というと、がんばって解ける。ところが、「これは詰むか詰まないかわからないのだが、どうですか。」と言って渡すと、詰みませんと言って戻ってくるのだそうだ。きっと詰むといわれると、詰むまでがんばるが、つむかどうかわからないといわれると、こんなに努力しても無駄ではないかという迷いが足を引っ張って、途中で投げ出してしまうのである。

これはあらゆる研究、開発、発見について言えることである。大西洋を西へ西へと航海するとアメリカ大陸に到達することがわかっておれば、誰もが、あらゆるリスクを冒して、船出するだろう。

だから、人が開発したものを見て、こんなものなら自分でもできると言ってしまったら、負けよ。(だれでもそう思うものなのだが。)最初に作ったひとは、失敗するリスクを負っているのに、二番手の人は、成功することがはじめからわかっているのだから、ずっと楽ですよね。最初の人をみとめないのはよくない。それから、だれよりも早くパクった、というのはダメよ。パクルだけでなく、何かを付加した、というのなら、その分だけは評価されるべきである。

2012年7月12日木曜日

233.連発と連射は違うよ

日本語の勉強。『連発』と『連射」は違う。ちょっと考えてみよう。

ワタクシの考えでは、「6連発拳銃」であって、「6連射拳銃」というものはない。
「6連射した。」ということはあっても、「6連発した。」とはあまりいわない。

連発とは「弾丸の装填を途中ですることなく、弾丸を連続して発射すること」である。
連射とは休むことなく、弾丸を発射することである。

だから、3発うって、間をおいて、また3発うった場合、6連射では、絶対ない。
6連発・・・・ともあまりいわないが、言ってもまちがいでない。途中で装填してないからね。

「6連射拳銃」というのはおかしいでしょう。いったん撃ち始めたら、やめられない
拳銃みたいだ。いっぺん装填すると6連発できる拳銃だから、「6連発拳銃」といわ
にゃいかん。

ギャグの場合は、連発しか使わないようだ、連射というと、すべるような気がする。
シャシャシャッ。

2012年7月9日月曜日

232.ミステリーバンクの電子回路

前に書いたミステリーバンク(コフィンバンク)のはたらきを電子回路でしたらどうなるだろう。電子回路Rは一種のロボットであり、うまくあやつれば、すばらしいはたらきをするが、あやつるのに修行と根性を要するものとする。

上の表のようにと最初は考えたが、どうもこれでは、「手」が箱の一定の位置で止まらない。少しずつずれる可能性がある。やっぱりモーターの動きによって入ったりきれたりするスイッチ2があって、その電流のオンオフを感知して電子回路Rが動くというとうにしなければならない。手が箱の中一定の位置に来たとき、電流が入ったり切れたりする仕組みはどうしても必要である。それならその「入ったりきれたりする」電流で直接モーターを駆動できるのだから、電子回路はなくてもよいということになる。

most useless machine everの先生は、なにをやっとるのかなあ。電子回路を使う必然性が、ワタクシには、どうもよくわかりませなんだ。・・・・・・・サーボモーターをつかっているのかもしれない。そうすると、モーターの動きで「入ったりきれたりする」スイッチを作る必要がなくなる。既製品が使える。サーボモーターをPICなどで制御するのが得意な人かもしれません。

いっぱんに、電子回路を使うと、スイッチ2(S2,モーター駆動スイッチ)に流れる電流を小さくできる。S2が大電流がながせるように接触をよくするなどの心配がいらない、と思う。

2012年7月8日日曜日

231.マイコン搭載ゴム*砲

pic搭載のゴム*砲がもうできとった。(http://www.geocities.jp/minamimaguro/world/sow/sow.html
まあどっちにせよ、自分にはできないので、早めに誰かが達成してくれたほうが、へんに緊張しなくていい。しかし若い世代はpicなどお手のものなんだろうな。ま、ワタシは別のことをやりまさあね。(おっと、年代がばれちゃった)

2012年7月6日金曜日

230.作業に熱中するということ

プラモデルやレジンキャストにサンドペーパーをかけて整形する作業は、単調で退屈だか、辛抱してやっていると、エンドルフィン(ひとをハイにさせる生体内の化学伝達物質?)が出て、無我の境地になる、と以前書いた。

「アンナ・カレーニナ」を読むと、副主人公のレービンが草刈りをしながら、熱中してハイになる場面が出てくる。働きながらハイになる人物を小説の中で、世界で最初に描いたのはトルストイ先生かもしれない。イワン・デニーソヴィッチもシベリヤの流刑地で酷寒のつらい労働中にハイになる。小学唱歌「村のかじや」は仕事に熱中してハイになる状態を歌っている。
アンブローズ・ビアスの短編に大砲の操作に熱中して、全身から湯気をたてんばかりに、砲弾を発射し続ける砲兵隊・・・彼らは知らずに味方を誤爆していたのだが・・・の話がある。映画「ストレンジラブ博士」では、戦略爆撃機B52の乗員が、ソ連領内に深く侵入しつつ、軽快なマーチの音楽に乗って、次々と原爆投下の操作をなかばやけくそに、なかば楽しみながら、操作手引きにしたがって粛々と進めていく。

大の大人が口笛を吹きながらプラモデルやゴム*砲にサンドペーパーをかけたり、コンパウンドで磨いたりする場面をテレビドラマや小説の中で描いたらどうだろう。これだけ不景気だと熱中するほどの仕事にはなかなかぶつからない。やけくそで趣味に熱中する大人ども・・・・・B52の航空兵を撮影するような皮肉なカメラの視点でみたら、おもしろいかもー。

2012年7月4日水曜日

229.ラチェットとエスケープメントとデジタル

だから、今ソーブレードに輪*ムが複数個かかっているだろう。
それをはずすシャークフィンなるものがある。
1歯だけシャークフィンを動かすと、輪*ムが1発飛ぶ、・・・・そう
いうものを作ればいいのだが、私はうまくつくれない。だから理屈をこねる。
もし作れたら、理屈などはどうでもいいわけだ。

ちょうど1歯だけシャークフィンを動かす方法にラチェットとエスケープメントと
デジタル(電子装置)の3つがあると思う。

ラチェットでうまくゆかないので、他の2つの方法ではどうかと考えているが、
だいたい同じレベルの難易度なので、結局できない。そういうことである。




2012年7月3日火曜日

228.ラチェットとエスケープメントについて

ラチェットというのは、歯車やラックを1方へ1歯だけ送る機構で、通常、レバーを1つの向きへ動かすと、レバーと噛み合った歯車やラックが1つの向きへ1歯送られる。
エスケープメントというのは、やはり歯車やラックを1方へ1歯だけ送る機構であるが、歯車やラックに初めから負荷がかかっていて、歯車やラックはつねに1方へ回転、あるいは直線の一方の向きへ移動しょうとしている点が、ラチェットと違う。エスケープメントはレバーの1往復により、1方向へ1歯だけ移動することが許される機構であり、1歯動いた位置で、それ以上移動しないようにストップがかかる。ストップがかかっているとき、ストップさせられた歯車またはラックとストップさせているもの、(ストッパー)とは、負荷により押し合っているのが特徴である。また、この押し合っている位置が正確に決まっているというのが、エスケープメントの特徴である。通常ストッパーは2つあり、1つのストッパーがはずれて、歯車またはラックが前進し、1定距離進んだところで、もうひとつのストッパーによって停止させられる。


いわゆるソーブレード・シャークフィン方式というのは、ラチェット機構である。また、いわゆる回転翼式というのは、エスケープメントである、と言明して、話を具体的にしょう。

振り子時計で振り子の1往復で歯車を1歯送るのが、もっともポピュラーなエスケープメントの例である。歯車はゼンマイにより1方向へ回転するよう、負荷がかかっている。

ラチェット機構のもっともポピュラーな例を私はここで挙げることができない。もっともポピュラーではないかもしれないが、ラチェットの例を2つ挙げる。ひとつはテニスのネットのロープを張る巻き取り機である。もうひとつは、回転式拳銃の弾倉を回転させる機構である。

テニスネット巻き取り樹においては、つねにネットをゆるませようという負荷が歯車にかかっている。それがゆるまないようにしているのは歯車とストッパーの形状である。これもラチェットと思うが、この場合ストッパーをはずすと、ネットは一気にゆるんでしまい、1歯ずつ送ることはできない。
この点、ラチェットでも、いわゆるソーブレード・シャークフィン方式の場合とちょっと違う。
一方、回転式拳銃の弾倉回転機構においては、(1)引き金の操作により、回転弾倉は1定の角度だけ、ある方向に回転する。(2)この弾倉には1定方向に回転させる負荷がかかっているわけではない。(3)弾倉の回転する方向はレバーと歯車の形状によって決まる。この3点は、いわゆるソーブレード・シャークフィン方式と一致する。したがって、ソーブレード・シャークフィン方式を考える上で、回転式拳銃の弾倉回転機構を参考にすべきと思う。

何を言いたいのか?え、なんだおい。・・・・それについては、もうあとちょっと書けばわかるのだが、
・・・・勿体ぶるほどのこともないのだが。

2012年6月20日水曜日

227.メカからデジタルへ

昔からの玩具でも最近は以前メカによって実現していた動作をICやマイコンを使って、電気的、電子的に実現しているのが多いのではないか。
昔、テーブルから落ちない自動車というのがあった。マイコンはおろか、ICもない時代に、メカだけでこれを実現していた。
壁にぶつかると方向を変える自動車というのも、純粋なメカニカルなしかけであった。
現在だとメカだけでこの動作をする方法より、PICマイコンなどをつかったアイデアの方がずっと簡単なように感じる。。
最近 「コフィン・バンク」という玩具の現代版をWEBでみて、この傾向を強く感じたので、書く。

昔「コフィン・バンク」という玩具があっった。コインを貯金箱の上に置くと、気味の悪いガイコツの手が出てきて、箱の中にさらいこむ、というもので、どういう仕掛けになっているのかと不思議な感じがするようなものであった。この貯金箱は、現在でも、かわいい子猫がダンボール箱の蓋の半分を持ち上げて、前足でコインをさらいこむ玩具として、市販されている。
インターネットで「貯金箱、ガイコツの手」で検索すると、昔の玩具の動画が見られるし、この仕掛けについて解説してあるサイトもある。(1)モーターと(2)ギヤと、それから(3)カムと電気スイッチを組み合わせたものの3つを使って、これができる。
Youtubeでコフィン・バンクの動画のリンクをたどると、The most useless machine everというよく似た装置にぶつかった。これは箱の上のスイッチをいれると、箱から、手のようなレバーがでてきて、スイッチを切ってしまうというものである。この冗談めいた装置の権威のサイトをみると、この先生は、この種類の玩具を何種類も製作しているが、すべてマイコンで動作をコントロールしているらしい。マイコンを使うと、自由自在に応用ができる。たとえばスイッチを3回押すと、3回押し返すといった動作を玩具にさせられる。市販の子猫貯金箱ははたして、メカか、デジタルか。


これを応用すると、引き金を1回ひくと、タマが3発でたり、5発でたり、自由に変えられる玩具ができる。自作のエアソフトガンで、1回引くと1発、3発、連射の切り替えができるものを作った日本人がいて、WEBで発表している。その回路をコピーして持っているが、世界初のマイコン搭載ゴム○砲を作るには電子的知識が決定的に不足しているので、あきらめてアイデアだけ公表する。