2012年9月4日火曜日

247.ラジコンカー・レース

NHKの以前の夜遅く、単発の趣味の番組があった。それはラジコンカーによる直線コースのタイムを競うレースで、チャンピオンに挑戦者が挑むという趣向であった。

番組は主に挑戦者に密着して取材し、視聴者は挑戦者の気持ちになってしぜん挑戦者を応援するよう、つくられていた。

ラジコンカーでたとえば50mをフルスピードで走らせると、車のスピードに人間の操縦がついていかないという事態が生ずる。単純なレースだが、フルスピードで、しかも最短距離をとって走らせるのはなかなかむずかしいのだろう。

挑戦者のアイデアは車の全長を長くして、舵をとりやすくしょうというものであった。かれは、いそがしい本業の合間に設計し、部品を集める。彼の家庭の様子や、仕事のアウトラインが映像で描かれる。それによって、勤勉な一日本人が、余暇に情熱の一部を趣味に注ぐ様子がわかる。

一方チャンピオン側の描写は少なく、彼がひとり机に向かう姿が短時間うつされるだけだ。かれはラジコンヘリコプターのジャイロ装置をラジコンカーに応用して、ある程度自動的に舵が取れるようにしょうとしていた。

できあがった挑戦者の車体は、仕上げからして自作とは思えないほど立派なもので、視聴者はびっくりし、あらためて、彼の実力を認識し直す。

試合の当日になると、チャンピオンと挑戦者(ともに30代でしょうか)は、親友のように挨拶を交わす。挑戦者は緊張して、すこし上気している。それにたいし、チャンピオンは全く屈託なく、あいそよく、うれしそうである。ちっともファイトを感じさせない。(非常にハンサムな顔立ちである。)

試合はあっけないもので、チャンピオンの圧勝である。チャンピオンの車は当然のようにまっすぐコースを駆け抜ける。それに対し、挑戦者の車ーかれの努力の結晶ーは無念にもコース脇の草むらに突入し、大きくタイムをロスする。緊張して操縦を誤ったのかもしれない。

試合後、挑戦者はチャンピオンと握手を交わしながら、脱帽したように頭をさげるが、チャンピオンはえらぶることなく、あくまで平常心である。かれはあいそよく「楽しかったですね」というが、試合前の態度と全く変わりがない。

再会を約して二人は別れ、番組は終わる。・・・・・私の感じたことは二つのことである。

(1)チャンピオンのように礼儀正しく、愛想よく、社交的で、天才的で、ちっとも苦労したところを見せないのにいつも勝ってしまう人種がいる。私にはけっしてマネできないが、世の中はそういう人たちが動かしているのかもしれない。

(2)ラジコンヘリコプターのジャイロ装置をラジコンカーに応用すれば、勝つのは当たり前である。卑怯とも言える。ジャイロ装置をラジコンカーに応用するにはそれなりの苦労がいるが、達成された成果は、ふたつの技術の融合であるから、圧倒的である。新しい技術には飛びついて、自分の分野に応用が効かないか、常に検討しないといけない。しかしそうして技術的に他を圧倒するということは、何か卑怯な感じもする。ダビデは石投げ紐で巨人ゴリアテを倒した。ゴリアテは石投げ紐というような「文明の利器」は見たこともなかったのである。私たちがダビデを見習うことは、卑怯者を目指すことである。技術とはアイデアとは卑怯者になることである。

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