「誰が本当の発明者か」(志村幸雄著・ブルーバックス)を読むと、ワタシの書きたいような発明をめぐるトラブルは大方書いてある。
「何が抜本的な発明で、何が単なる改良か」を決めるのが難しいことが、発明をめぐるトラブルの原因であることもちゃんと考察されている。
そこでワタシとしては大したことは書けないが、改良者が、先行する発明を相対化するために、さらに先行するひいお祖父さんのような古ぼけた発明を持ち出してくることがよくあることを指摘する。
ラングレーはスミソニアン博物館の館長で、飛行機の研究者・製作者としてはライト兄弟の先輩である。彼の先進的な星型エンジンを積んだ飛行機:エアドローム(エアプレーンではない)はワシントンのポトマック河でカタパルトで打ち出されたが、横滑りを打ち消す機構を備えていなかったため、ほとんど飛行することなく、河に落ちた。ライト兄弟はこのあと間もなく初飛行に成功する。(記憶に頼って書いているので間違いがあっても責任は取りません。)
ところがライト兄弟とカーチスの熾烈な(「誰が本当の発明者か」の表現也)特許権訴訟にからんで、カーチスがライト兄弟の功績を相対化するために、エアドロームを再現(再製作)し、ポトマック河上を飛行させ、世界最初の飛行機はライト兄弟のフライヤーではなく、エアドロームであると主張した。
ラングレーはその1年前に亡くなっており、本人は生前、世界初飛行の優先権を主張したことは、全くなかったのに、ライト兄弟の追随者/模倣者によって担ぎ出されたのである。落語で死びとにカンカン能を踊らせる話があるが、カーチスがラングレーのカカシを作ってライト兄弟(オリバーだけになっていたが)をおびやかすようなものだ。
オリバー・ライトはウィルバーがチフスで亡くなってからは、飛行機の製作はせず、飛行機の発明者としての名誉を守ることに専念した。彼は、新旧のエアドロームの写真を比較し、飛行に成功したエアドローム再生機はオリジナルに比べて二十何箇所の変更が加えられていることを指摘し、元のエアドロームは飛行する性能はないことを示した。
このように改良者が発明者の功績を相対化するために先行発明を持ち出すことはよくあることである。先行者の名誉を顕彰するのが目的でなく、改良者が対決している発明者を攻撃するために引っ張り出すのである。
コンピュータの発明をめぐる訴訟でも、モークリーとエッカートのENIACよりも先に、アナタソフの「ABC機械」があった、という議論が持ち上がったが、これは訴訟の相手のハネウェル社が発掘してきたものである。ハネウェル社はモークリーとエッカートの特許を持つスペリー・ランド社に特許料を払わず、裁判で対決した。
ハネウェルといえば、日本のカメラ会社ミノルタが、一眼レフの自動焦点機構にハネウェル社の米国特許に触れる考案を用いていると、訴えられ、敗訴した事件がある。このとき、ミノルタは自身が権利を持つ、ドイツ・ライツ社の先行特許をかざして防戦したが、ライツ社特許の弱点を突かれてまけている。この場合は先行特許を持ち出したほうが負けたわけだ。
先人の業績が発掘されて賞揚されるとき、よく見ると、それを発掘するエネルギーは、発明を利用したい製造業者から湧いてくるものであることが多いのではないだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿