「グラハム・ベル 声をつなぐ世界を結ぶ」ナオミ・パサコフ著を読むと、チャールズ・ボールドウィンという名前が出てくる。
アレクサンダー・グラハム・ベルは、電話の発明者とされている。父親が視話法(一種の発音記号?)を開発し、聴覚障害者教育に携わったので、自身も一生を通じて、聴覚障害者の教育に関係を持った。電話の発明について、イライシャ・グレイやトーマス・エジソンという強敵に1歩先んじたのは、電気についての知識が乏しいにもかかわらず、(また全く不器用だったにもかかわらず)、音についての物理学や、音声についての知識が豊富であったためと書かれた本が多い。確かにそういう点もあるだろうが、この人はもっと気が多く、エジソン以上に多方面の発明に首を突っ込んでいる。飛行機の発明にも夢中になってAEA(航空実験協会)を設立した。グレン・カーチスもそのメンバーである。
ベルはヘレン・ケラーにサリヴァン女史を紹介したり、「聴覚障害の方がたのために働くことは、私にとって電話の発明よりもずっと、魂の安らぐ行為です。」と言ったりして、ヘレンケラーはそのことを記録している。ベルの伝記のその部分を読むと、彼はその一生を聴覚障害者への福祉のために捧げた、という感じがするのだが、たいていの著者はベルが、飛行機や水中翼船など聴力障害と何の関係もない発明に血道をあげていたということを、同じ章に書いてバランスを取ることを忘れている。(同じ本の別の章では他の発明のことも書いてある。)読者は十分な批判精神を働かせることなく、発明者の英雄譚に酔わせられている。ベルは複雑で、素直に英雄として、その伝説を吹聴するのは、自分が納得いくまで、文献を渉猟してからでないと、アブナイ人物なのだ。
チャールズ・ボールドウィンというひとは、ベルのAEAの第2号飛行機を作ったひとで、主翼と蝶番で接続した補助翼をつけた世界最初の飛行機を作った人物である。グラハム・ベル夫人メイベルは、飛行機の発明に関してベルの盛名が上がらなかったことを残念に思うこともあって、AEAのメンバーでひとり名をあげたカーチスを非難した手紙を残しているそうだ。彼女はその中で「カーチス複葉機と呼ばれて、空を飛んでいるのは、AEAの成果を盗んだ代物で、ボールドウィン複葉機と呼ぶべきものです。」という意味のことを言っている(前書ナオミ・パサコフ女史の本より引用いたします)。
なんのことはない。カーチスはライト兄弟のアイデアをパクってその改良版を考案しただけでなく、彼の特許の補助翼(エルロン)そのものが、AEAの他のメンバーからのパクリかもしれないのである。そうすると、発明家を英雄にしたてて、その提灯を持つという行為が、まっこと、つまらないことだという気がする。
ボールドウィンの蝶番補助翼のアイデアは、ライト兄弟のねじり主翼の改良版である可能性が高く、ライト兄弟のアイデアはカーチス由来でボールドウィンに伝わったか、ライト特許書類によるものだろう。ライト兄弟の話を聞いてきたためにAEAの中でカーチスが主導権を一時にせよ握ったことが想像できる。補助翼の発明者はカーチスということになっていて、ボールドウィンという名前は発明の歴史の中に埋もれている。一将成って万骨枯れる、である。
(ベルの母親もベル夫人も聴覚障害者である。ひとは母親を選ぶことはできないが、配偶者を選ぶことはできる。障害者と結婚することはなかなかできることではない。えらいことはえらい。しかしこれと、電話の発明の成否とは一応切り離して考えるべきだろう。ベルは大学の物理学の成果に接する機会があった。また博覧会などで、度々電話のデモンストレーションを行なう度に電話を改良した。グレイやエジソンとの間に差がついたといえば、このへんの事情によるものだろうが、よくわからない。「グラハム・ベル 孤独の克服」の中にベルの音響学の知識が決定的な役割を果たした証拠を探しているが、まだわからない。
具体的にどういう知識あるいは経験が発明の成功にむすびついたか、それを言わないとたんなる推測にすぎない。10年にわたる特許裁判でベルはいろいろな弁明をしているが、「音の物理学の知識があったために電話の発明ができた」と言っているのが、ベル自身であって、裁判で証言しているのであれば、話半分くらいに聞いていたほうがいいだろう。)
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