発明で巨万の富を築いたひともいれば、世紀の発見で栄誉に輝いた人もいる。しかしこれらの発明や発見の近くにいて、多少の貢献はしたのに、全く金にも名誉にも縁がなかったひともあるようだ。
そんな話を聞くとほっとする。凡人の悲しさかもしれないが。気持ちのバランスをとるために、そんな話しも必要である。(うろ憶えなので、信じないように。いっそウソと思ってもらったほうがいい。WEBは、書籍や雑誌とちがい、編集者のチェックがはいらないので、間違いだらけだ。)
蛍光蛋白質というものがあって、蛋白質そのものが光る。この蛋白質を細胞にとりこませると、細胞のいろんな器官が光り、研究の助けになる。蛍光蛋白質をこのように細胞の研究に応用する道を切り開いた人たちはノーベル賞の栄誉に輝いた。蛍光蛋白質の基礎的研究をしていた人も。
しかし細胞学への応用研究に必要な「蛍光蛋白質の遺伝子」を分離し、かれらにその遺伝子を快く無償で提供した研究者は、賞の対象にならなかっただけでなく、失職し、運転手をされているそうだ。そのひとは自分が賞から漏れたことを恨みに思ってなどいない。「ちょうど、あのとき、研究の資金が打ち切られることが決まっており、研究をやめる前にその成果を利用してくれる人がいたら、だれでも喜んで提供しただろう。」と言っているそうだ。(何の本で読んだか忘れてしまった。)「まあ、ノーベル賞をもらった連中がもし私を訪ねてくるようなことがあれば、昼飯くらいおごってもらう資格はあると思うけどね。」
「昼飯くらいおごってもらってもいいけど。」・・・それもなかなかいい台詞ではないでしょうか。
(240項で言及した時計職人の陥った心理状態、これを日本人は「功名心にはやる」といって戒めてきた。オウム真理教の幹部の人たちが、教祖の前で陥った心理状態もこれである。ブログで気の効いたことを書きたいという気持ちも結局これだろう。)
記事の誤りをただしておく。(1)蛍光蛋白質を細胞の中にいれるのではなく、調べたい蛋白質の遺伝子に蛍光蛋白質の遺伝子をくっつける。(どんな蛋白質も光らせる「遺伝子の蛍光遺伝子部分」というものがあるのかもしれない。がよくわからない。)この遺伝子を細胞に導入すると、目的とした蛋白質が光るので、その局在や動きをみることができるということだった。(2)遺伝子の供給をうけ、その応用を確立した研究者たちは、ノーベル賞の授賞式に、遺伝子を提供してくれた研究者を招待した、と書かれた本もある。(2012.8.28)
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