2012年8月31日金曜日

245.教えてやった若者に出し抜かれる

「世界を変えた発明と特許」には、ライト兄弟のところへ、のちにエルロンの発明者となるカーチスが飛行機の作り方を教わりにくることが書かれている。兄弟は飛行機が風をうけて傾いたとき、左右の翼の迎え角をかえて、揚力を変化させ、飛行機の姿勢を回復することがポイントだと教えてやった。「私たちの特許の文章をよく読むんだね。」

ところが2年間でカーチスはライト兄弟の飛行機に引けを取らない機体をつくりあげ、ライト兄弟が秘密主義であまり飛行機のデモンストレーションを行わなかったのに対し、遠慮なく飛び回ったので、カーチスが飛行機を発明したという評判がたつにいたった。

ライト兄弟はカーチスの飛行機の特許は自分たちの模倣であるから無効であると裁判に訴えたが、その過程で、自分たちの発明の請求(クレーム)の範囲をたびたび修正して、カーチスの考案したエルロンも、請求の範囲に含まれるようにした。そのころは請求の範囲を修正することが認められていたらしい。

「世界を動かした発明と特許」には、ライト兄弟とカーチスの特許の図が両方載っている。それを見ると、ライト兄弟を応援したい私たちは、少し救われたような気になる。カーチスの特許書類の図はエルロンのほかはライト兄弟の機体そっくりなのだ。カーチスが模倣したのは明らかだという感じがする。

ライト兄弟の飛行機は現在のわれわれの目からするとちょっと変わっている。頭あげか頭下げかのかじをとる小さな翼が、現代の飛行機では主翼の後ろにある(水平尾翼)のに、兄弟のは前にある。そして左右のかじをとる小さな縦向きの翼は現代の大方の飛行機と同じく主翼のうしろにある(垂直尾翼)。すなわちライト兄弟のは主翼の前に水平尾翼の働きをする翼のあるカナード式で、垂直尾翼は水平尾翼と分かれて後方にある。カーチスの機体はこの3つの翼の配置が、ライト兄弟の機体と全く同じである。

ライト兄弟の特許の図は機体の右前やや上方から見た図だが、カーチスのは左前方やや下方から、丁度地表から見上げたような図になっている。ライト兄弟機とソックリなのを隠すために小細工をしたように見える。(模倣者はいろいろ小細工をするが、まねされたものが見ればすぐわかるものである。)

なぜカーチスはライト機とそっくりな機体しか作れなかったか。主翼の揚力が操縦士によって左右変えられるようにして、飛行機の姿勢を操縦できるのがポイントだということを教わったのだから、それ以外のところは、自分で自由に変えられるはずではないか。多少外観を変えたほうが、模倣したことが目立たないのではないか。

カーチスはポイントを教わったので、かえってポイント以外の機体部分を変更することができなくなったのだと思う。

ライト兄弟以前にはだれも機械によって空をとぶことができなかった。克服すべき困難のポイントがどこにあるかがわからなかった。エンジンの馬力が足らないのか、翼の形状が悪いのか、機体が重すぎるのか、このように問題点が数多くあると、どこから手をつけていいかわからず。その前で座り込んでしまうことになる。とてつもなく困難な課題のように思える。

ライト兄弟は、問題は操縦性にあるということを示した。エンジンも翼もとくに製作に高度な技術がいるというのではなかった。翼の形、大きさなどは、かれらが自作した風洞によって計算された、かれらなりにベストを尽くしたものだったけれど、出来上がりをみると、彼らしか作れないものではなかった。カーチスは肝心の翼の揚力を変える構造については、エルロンという、かれなりの改良を思いついたけれども、機体のそれ以外の部分が、どれほどの必然性を持っているかはわからなかった。要するに下手な変更を加えると、飛ばなくなるかもしれないので,変えることができなかったのだと思う。

実際に飛んでいる機体があるということは、それそっくりに作れば飛ぶということである。それをすこしずつ変更して飛ばせば、どうするとより良く、どうすれば悪いかがわかる。最初に飛行に成功することがいかにねうちのあることか。

カーチスの改良は誰もが利用せずにはいられない重要なものだった。第一次大戦に参戦し、飛行機を量産する必要のあったアメリカ政府は手打ちを行った。ライト兄弟とカーチスとその他の飛行機に関する特許をプールし、飛行機を製造するものは、1機あたりいくらかの特許使用料を支払い、その特許料は、ライト兄弟にもっとも多く、ついでカーチスにというように差をつけて支払われた。ライト兄弟が一定額を得たあとはカーチスが優先的に特許料を手にいれた。こうして、画期的な発明を成し遂げた者と、その重要な改良者がともに報酬を得るしくみができあがった。

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