2012年8月21日火曜日

240.相談した人にパクられる

ダーウィンは進化論のアイデアを若いときビーグル号の航海以来もちつづけており、その考えをまとめた書物の出版も計画していたが、それこそ何十年も、実際に出版はせずほっておいた。

彼は、金持ちであって、大学の教官などではなかったから、誰と張り合って業績をあげようというのでもなかった。かれは進化論の傍証となるような研究をこつこつやって積み重ねていた。進化論以外の研究でも、業績をあげ、学問的に評価されていた。また、気のおけない若い友人と、進化論について(ひそかに)つねに議論して、自分の理論に磨きをかけていた。かれはその気になれば何十年も前に進化論を発表することができたが、そうせずに、後から思うと、ぶらぶらしていた。

ところが若い研究者のウォーレスが進化論の考えを聞いてもらって、ダーウィンの意見を聞きたいと思って訪問してきたとき、ダーウィンは自分以外に同じような考えの後輩の学者があらわれたのにびっくりした。

そこからあとは、電光石火。1週間くらいで、予定していた著書の抜粋を「種の起源」としてまとめ、ウォーレスに言わずに、自費出版した。

この出版のさいにダーウィンのとった態度は、少々紳士的でないといわれている。出版を知ったウォーレスは、一瞬「ダーウィンにパクられたか」と思ったのではないか。(ワタクシの想像)。ダーウィンはもっと横綱相撲をとってもよかったように思うが、最後の最後にさすがのかれも研究者のエゴがでたのだろう。ダーウィンが以前から進化論の考えを持っていたことは、別の友人の証言があるので、かれはアイデアを盗んだのではない。しかし、ちょっとゆっくりしすぎたとあせったのだろう。

ウォーレスは謙遜な人柄でダーウィンを非難せず、むしろいつもダーウィンをたてた。ダーウィンも貧しい階級出身のウォーレスの活動を助けた。一種の美談になっているが、自分が相談に行った相手が、丁度同じ研究をしていて、そのままパクられることもけっこうあるようだ。

「誰が本当の発明者か」(ブルーバックス)に、時計のエスケープメントの画期的な改良をおもいついた若者が高名な時計職人に相談に行くと、大家先生はそのままパクって雑誌に発表してしまった話が書かれている。無名の若者だと泣き寝入りするだろうと、見くびられたのである。若者はひるまず、訴え出て、正当な権利が認められたそうである。

「こいつの発明は、自分がいままでやってきたことより、値打ちのあることかもしれんぞ。おれは一体いままで何をやってきたのだろう。声望をうたわれたおれが、こんな小僧っこに及ばないなんて、なっさけない。それにしても、自分はいま時計の歴史で重要なポイントに立っているのかもしれん。この発明がきっかけで、どんどん技術が進んで、世界中の時計がガラッと変わったものになるかもしれない。もしそうなら、この歴史的転換点におれも是非一役演じたいものだ。これは神様が俺に与えてくれたチャンスなのかもしれん。」などと考えているうちにだんだん欲が出て、(欲に目がくらんで)悪いことをやってしまうのだろう。こういう心理状態になったら気をつけないといけない。

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