2012年8月31日金曜日

246.後援者が手柄を横取りする

ジュール・ベルヌの「地底旅行」に、地底に大きな海があって、主人公たちが、その海をいかだで航行していると、いきなり古代の蛇頸竜と魚竜が水面に躍り上がって、死闘を演じる場面がある。

しかし、なぜ水棲爬虫類なのだろうか。ティラノサウルスとトリケラトプスが地底の砂漠で砂塵をまいて格闘するほうが迫力があるのでは?と思うが、ベルヌが「地底旅行」を書いたころには、まだこれらの恐竜の化石は発見されていなかった。発見されていたのは、イギリスの海岸で、水棲爬虫類(プレシオサウルスとかそのしんせき)のばっかりだった。と、ここまでは以前読んだ本の受け売りである。申し訳ないが、その本の題名は忘れた。(SFクラブなどで、この問題をクイズとして出すと受けるかも)

イギリスの海岸で、これらの巨大な爬虫類の化石を見つける名人がいたことが「メアリー・アニング」に書いてある。この題が示すようにこの名人は女性であった。彼女は貧しかったので、海岸で化石を見つけては、その地の名士に買ってもらっていた。

メアリー・アニングから化石を買っていた男は金持ちで紳士で、素人科学者でもあり、巨大爬虫類の化石を地方のアマチュア科学者の集まりで発表していた(名前は忘れた)。なさけ深い性格であったので、つねにメアリーに財政的援助をしていた。(別に下心はなかった)ところが長年の間に多くの化石が集まったので、一念発起してこれらについてひとつの論文を書いた。その中でこれら古代の巨大生物の化石はすべて自分が発見した、と書こうとしたので、事情を知っている周囲から、あまりにひどいと止められたそうである。女性だし、下層階級だし、普段自分がなにかと生活を助けているというので、手柄をパクッテも文句は出まいと思ったのだろう。

このように人間は親切に教えてくれた人を出し抜いたり、自分が世話をしてやっている人間を、それだからよかろうと、手柄をかすめ取ったりするのである。(以前に読んだので内容に誤りがあるかもしれない。)

人は誰によって殺されるか、知り合いか、全く見ず知らずの他人によってかということを調査すると、圧倒的に殺人は知り合いによってなされるそうである。これもクイズになるかもしれない。

ついでに。「何千万年か前にガメラという古代のカメが地球上に生息していた。ホントか。ウソか。」というクイズの答えは、「ホント」なのであるが、その理由が「史上最大の恐竜発掘」(新潮文庫)に書いてある。

245.教えてやった若者に出し抜かれる

「世界を変えた発明と特許」には、ライト兄弟のところへ、のちにエルロンの発明者となるカーチスが飛行機の作り方を教わりにくることが書かれている。兄弟は飛行機が風をうけて傾いたとき、左右の翼の迎え角をかえて、揚力を変化させ、飛行機の姿勢を回復することがポイントだと教えてやった。「私たちの特許の文章をよく読むんだね。」

ところが2年間でカーチスはライト兄弟の飛行機に引けを取らない機体をつくりあげ、ライト兄弟が秘密主義であまり飛行機のデモンストレーションを行わなかったのに対し、遠慮なく飛び回ったので、カーチスが飛行機を発明したという評判がたつにいたった。

ライト兄弟はカーチスの飛行機の特許は自分たちの模倣であるから無効であると裁判に訴えたが、その過程で、自分たちの発明の請求(クレーム)の範囲をたびたび修正して、カーチスの考案したエルロンも、請求の範囲に含まれるようにした。そのころは請求の範囲を修正することが認められていたらしい。

「世界を動かした発明と特許」には、ライト兄弟とカーチスの特許の図が両方載っている。それを見ると、ライト兄弟を応援したい私たちは、少し救われたような気になる。カーチスの特許書類の図はエルロンのほかはライト兄弟の機体そっくりなのだ。カーチスが模倣したのは明らかだという感じがする。

ライト兄弟の飛行機は現在のわれわれの目からするとちょっと変わっている。頭あげか頭下げかのかじをとる小さな翼が、現代の飛行機では主翼の後ろにある(水平尾翼)のに、兄弟のは前にある。そして左右のかじをとる小さな縦向きの翼は現代の大方の飛行機と同じく主翼のうしろにある(垂直尾翼)。すなわちライト兄弟のは主翼の前に水平尾翼の働きをする翼のあるカナード式で、垂直尾翼は水平尾翼と分かれて後方にある。カーチスの機体はこの3つの翼の配置が、ライト兄弟の機体と全く同じである。

ライト兄弟の特許の図は機体の右前やや上方から見た図だが、カーチスのは左前方やや下方から、丁度地表から見上げたような図になっている。ライト兄弟機とソックリなのを隠すために小細工をしたように見える。(模倣者はいろいろ小細工をするが、まねされたものが見ればすぐわかるものである。)

なぜカーチスはライト機とそっくりな機体しか作れなかったか。主翼の揚力が操縦士によって左右変えられるようにして、飛行機の姿勢を操縦できるのがポイントだということを教わったのだから、それ以外のところは、自分で自由に変えられるはずではないか。多少外観を変えたほうが、模倣したことが目立たないのではないか。

カーチスはポイントを教わったので、かえってポイント以外の機体部分を変更することができなくなったのだと思う。

ライト兄弟以前にはだれも機械によって空をとぶことができなかった。克服すべき困難のポイントがどこにあるかがわからなかった。エンジンの馬力が足らないのか、翼の形状が悪いのか、機体が重すぎるのか、このように問題点が数多くあると、どこから手をつけていいかわからず。その前で座り込んでしまうことになる。とてつもなく困難な課題のように思える。

ライト兄弟は、問題は操縦性にあるということを示した。エンジンも翼もとくに製作に高度な技術がいるというのではなかった。翼の形、大きさなどは、かれらが自作した風洞によって計算された、かれらなりにベストを尽くしたものだったけれど、出来上がりをみると、彼らしか作れないものではなかった。カーチスは肝心の翼の揚力を変える構造については、エルロンという、かれなりの改良を思いついたけれども、機体のそれ以外の部分が、どれほどの必然性を持っているかはわからなかった。要するに下手な変更を加えると、飛ばなくなるかもしれないので,変えることができなかったのだと思う。

実際に飛んでいる機体があるということは、それそっくりに作れば飛ぶということである。それをすこしずつ変更して飛ばせば、どうするとより良く、どうすれば悪いかがわかる。最初に飛行に成功することがいかにねうちのあることか。

カーチスの改良は誰もが利用せずにはいられない重要なものだった。第一次大戦に参戦し、飛行機を量産する必要のあったアメリカ政府は手打ちを行った。ライト兄弟とカーチスとその他の飛行機に関する特許をプールし、飛行機を製造するものは、1機あたりいくらかの特許使用料を支払い、その特許料は、ライト兄弟にもっとも多く、ついでカーチスにというように差をつけて支払われた。ライト兄弟が一定額を得たあとはカーチスが優先的に特許料を手にいれた。こうして、画期的な発明を成し遂げた者と、その重要な改良者がともに報酬を得るしくみができあがった。

2012年8月28日火曜日

244.アイデアか技術か2

「ノーベル賞ゲーム」では、前項で要約したインスリンの発見には、マクラウドのチームとくにコリップの抽出技術が大きく貢献していると考察している。

バンティングの提案後わずか2ヶ月で、血糖を下げる標品が得られたことから、かれのアイデアが決定的であったと考えられる。また、マクラウドの夏休み中に膵臓抽出物によって血糖が下がる実験結果が得られていた、という話からは、「マクラウドの受賞はおかしい」とするバンティングの主張はもっともなように思われる。

さらに、一介の外科医であっても、着想さえよければ、ノーベル賞に値する研究成果を得ることができる、ということは、一般開業医にとっての希望=夢物語として広く受け入れられた。

しかし関係者の研究ノート、手紙などの資料をくまなく調査した医療ジャーナリストの結論は、それほど単純ではなく、マクラウドのチームの貢献も大きく、アイデアだけではだめで、アイデアと技術の両方が必要であったこと、当時の受賞者としては、抽出チームの代表として、また実験治療計画の中心としてのマクラウドが受賞したのは順当と結論づけている。

マクラウドは2ヶ月のうちすくなくとも1ヶ月は大学にいて、研究の基本方針について指示をあたえたこと、バンティングは最初膵臓を移植することによって、糖尿病を治療するつもりでいたこと、バンティングとベストの調製した抽出物は、発熱や傷みをひきおこすだけで、血糖をさげず、血糖降下作用はコリップの抽出物によって始めて観察されたこと。バンティングは抽出方法がわからず、コリップを詰問したこと・・・・。

バンティングは研究の途中で、マクラウドが手柄を横取りし、アイデアだけの自分はほうりだされてしまうのではないかという恐れに取り付かれ、その気持ちはコリップに伝染して、抽出方法を秘密にさせた。血糖降下作用が観察されたのをきっかけに仲間われがはじまった、といえる。

アイデアと技術の両方が必要である。とわれわれは考えておこう。

243.アイデアか技術か または 宝の山を前にして仲間割れする

インスリン発見の物語は、画期的な技術や真理の発見にアイデアが大事か、それともアイデアを実現する技術が大事かというテーマを考えさせる。

「ノーベル賞ゲーム」の最初の2章はこの事件について紹介し、考察をくわえている。へたな要約をする。

インスリンは膵臓のランゲルハンス島に含まれるホルモンで、血糖を下げるなどの働きをする。膵臓を摘出したイヌは糖尿病になることが知られていた。しかし膵臓から血糖を下げる働きをする成分を分離することはなかなかできなかった。膵臓は消化酵素を分泌する臓器でもあり、膵臓をすりつぶしたりすると、消化酵素が「血糖低下成分」をこわしてしまうからである。

カナダの外科医バンティングは、消化酵素の出る膵管の出口を外科手術でくくってしまうと、消化酵素が逆流して、膵臓の消化酵素製造部分は死んでしまい、「血糖低下成分」だけ残るだろう。そうすれば「血糖低下成分」を取り出すことができると考えた。

かれは糖尿病の権威であるマクラウド教授を訪ね、研究施設と実験助手を貸してほしいと頼んだ。マクラウドはこのような試みが世界中で行われており、ことごとく失敗しているので、バンティングのアイデアにたいしてはきわめて冷淡であったが、夏休みの間だけに限って施設を使うことを許可し、学生ベストを助手としてつけてやった。これに抽出技術にすぐれた研究者コリップが自分から希望して加わった。

外科医バンティング、マクラウド教授、学生ベスト、研究者コリップ、こうして役者四人がそろった。

マクラウド教授が夏休みから大学に戻ると、バンティングとベストが手術したイヌの膵臓からコリップが抽出した成分が、糖尿病の犬の血糖値を下げる成績がえられていた。マクラウドはその物質をインスリンと名づけた。かくてバンティングの提案からたった2ヶ月で血糖低下成分がえられ、実験的に投与を受けた少年は死をまぬがれた。大学病院あげての臨床試験が行われ、死に瀕していた患者たちは劇的な回復を見せた。イーライ・リリー製薬会社が製品の製造を申し出て、インスリンが広く治療に用いられた。その時代の内科医は、死病と考えられていた病気から、枯れ木がよみがえるように患者がつぎつぎ回復していく奇跡をまのあたりにみることになった。

1年後、異例のはやさで、インスリンの発見に対し、ノーベル賞が与えられた。受賞したのはバンティングとマクラウドであった。

バンティングは直接実験に携わっていないマクラウドが受賞した事に反発し、自分のもらった賞金の半分を学生ベストに与えた。

マクラウドもバンティングのこの行為に反発し、自分の賞金の半分をコリップに与えた。

バンティングとマクラウドは決裂し、一生和解しなかった。共同研究し、ともにノーベル賞を受賞したメンバーが、発見の寄与度について、決定的なケンカをした有名な事件らしい。(つづく)



2012年8月24日金曜日

242.レーザー・カッター

糸鋸を使うのが億劫になってきたので、レーザーカッターなる物で簡単に切り抜けないか、とネットをいろいろ見て回ったが、はっきり値段が書かれていない。

しかしどうも数100万円くらいするようだ。とんでもないよ。プロの道具であって、しろうとが趣味で使えるものではなさそうだ。

大体これを使うのはコンピュータが扱えないとだめなのだ。それもブログが書けるといった甘っちょろいのではだめで、まずCADが使えないとだめだ。そのうえ、CADデータをもとにして、レーザーで切るためのソフトウェアを扱えないといけない。、これが名前さえ憶えられないような難しいものなのであって、しきいが非常に高い。

だいたい、このソフトウェアの壁が立ちはだかっているために、使える人が少なく、したがって需要が少なく、台数がはけないので、値段が安くならないのだ。そんなソフトウェアが本当に必要なのか。理論的にはレーザーを鉛筆の先に取り付けて、お医者さんがレーザーメスをつかうように、厚板をすいすい切り抜けるはずである。そのくらいの精度で十分な場合もけっこうあるはずだ。

そこで私のアイデアだが、まずレーザーカッターにコピー機を取り付けて、今は公表できない秘密の方法によって、コピー機のデータどおり、すなわち原稿どおりに5mm厚のMDFが10分で切り抜けるようにする。

これをクルマに乗せて、カルチャーセンターの夏休み工作教室に行き、子供に護謨**の部品の図を定規などを使って書かせ、10分で切り抜いてやる。原稿の大きさはA4サイズときまっている。原稿に間違いがあっても、全くそのまま切り抜かれてしまうが、それは現在のコピー機と同様である。1枚500円なので、工作好きな少年はあらそってこれを使い、数ヶ月で元をとり、その後は丸々もうけとなる。各地でこのようなビジネスが立ち上がるとレーザーカッターの値段は1年で10分の1になる。家の中にへんなかたちをした板切れがごろごろ転がって、踏みつけると痛いが、日本のものづくりの復権のため、次代の少年たちを作るためと思えば、たいした犠牲ではない。

2012年8月22日水曜日

241.多少の協力はしたんだけど

発明で巨万の富を築いたひともいれば、世紀の発見で栄誉に輝いた人もいる。しかしこれらの発明や発見の近くにいて、多少の貢献はしたのに、全く金にも名誉にも縁がなかったひともあるようだ。

そんな話を聞くとほっとする。凡人の悲しさかもしれないが。気持ちのバランスをとるために、そんな話しも必要である。(うろ憶えなので、信じないように。いっそウソと思ってもらったほうがいい。WEBは、書籍や雑誌とちがい、編集者のチェックがはいらないので、間違いだらけだ。)

蛍光蛋白質というものがあって、蛋白質そのものが光る。この蛋白質を細胞にとりこませると、細胞のいろんな器官が光り、研究の助けになる。蛍光蛋白質をこのように細胞の研究に応用する道を切り開いた人たちはノーベル賞の栄誉に輝いた。蛍光蛋白質の基礎的研究をしていた人も。

しかし細胞学への応用研究に必要な「蛍光蛋白質の遺伝子」を分離し、かれらにその遺伝子を快く無償で提供した研究者は、賞の対象にならなかっただけでなく、失職し、運転手をされているそうだ。そのひとは自分が賞から漏れたことを恨みに思ってなどいない。「ちょうど、あのとき、研究の資金が打ち切られることが決まっており、研究をやめる前にその成果を利用してくれる人がいたら、だれでも喜んで提供しただろう。」と言っているそうだ。(何の本で読んだか忘れてしまった。)「まあ、ノーベル賞をもらった連中がもし私を訪ねてくるようなことがあれば、昼飯くらいおごってもらう資格はあると思うけどね。」

「昼飯くらいおごってもらってもいいけど。」・・・それもなかなかいい台詞ではないでしょうか。

(240項で言及した時計職人の陥った心理状態、これを日本人は「功名心にはやる」といって戒めてきた。オウム真理教の幹部の人たちが、教祖の前で陥った心理状態もこれである。ブログで気の効いたことを書きたいという気持ちも結局これだろう。)

記事の誤りをただしておく。(1)蛍光蛋白質を細胞の中にいれるのではなく、調べたい蛋白質の遺伝子に蛍光蛋白質の遺伝子をくっつける。(どんな蛋白質も光らせる「遺伝子の蛍光遺伝子部分」というものがあるのかもしれない。がよくわからない。)この遺伝子を細胞に導入すると、目的とした蛋白質が光るので、その局在や動きをみることができるということだった。(2)遺伝子の供給をうけ、その応用を確立した研究者たちは、ノーベル賞の授賞式に、遺伝子を提供してくれた研究者を招待した、と書かれた本もある。(2012.8.28)

2012年8月21日火曜日

240.相談した人にパクられる

ダーウィンは進化論のアイデアを若いときビーグル号の航海以来もちつづけており、その考えをまとめた書物の出版も計画していたが、それこそ何十年も、実際に出版はせずほっておいた。

彼は、金持ちであって、大学の教官などではなかったから、誰と張り合って業績をあげようというのでもなかった。かれは進化論の傍証となるような研究をこつこつやって積み重ねていた。進化論以外の研究でも、業績をあげ、学問的に評価されていた。また、気のおけない若い友人と、進化論について(ひそかに)つねに議論して、自分の理論に磨きをかけていた。かれはその気になれば何十年も前に進化論を発表することができたが、そうせずに、後から思うと、ぶらぶらしていた。

ところが若い研究者のウォーレスが進化論の考えを聞いてもらって、ダーウィンの意見を聞きたいと思って訪問してきたとき、ダーウィンは自分以外に同じような考えの後輩の学者があらわれたのにびっくりした。

そこからあとは、電光石火。1週間くらいで、予定していた著書の抜粋を「種の起源」としてまとめ、ウォーレスに言わずに、自費出版した。

この出版のさいにダーウィンのとった態度は、少々紳士的でないといわれている。出版を知ったウォーレスは、一瞬「ダーウィンにパクられたか」と思ったのではないか。(ワタクシの想像)。ダーウィンはもっと横綱相撲をとってもよかったように思うが、最後の最後にさすがのかれも研究者のエゴがでたのだろう。ダーウィンが以前から進化論の考えを持っていたことは、別の友人の証言があるので、かれはアイデアを盗んだのではない。しかし、ちょっとゆっくりしすぎたとあせったのだろう。

ウォーレスは謙遜な人柄でダーウィンを非難せず、むしろいつもダーウィンをたてた。ダーウィンも貧しい階級出身のウォーレスの活動を助けた。一種の美談になっているが、自分が相談に行った相手が、丁度同じ研究をしていて、そのままパクられることもけっこうあるようだ。

「誰が本当の発明者か」(ブルーバックス)に、時計のエスケープメントの画期的な改良をおもいついた若者が高名な時計職人に相談に行くと、大家先生はそのままパクって雑誌に発表してしまった話が書かれている。無名の若者だと泣き寝入りするだろうと、見くびられたのである。若者はひるまず、訴え出て、正当な権利が認められたそうである。

「こいつの発明は、自分がいままでやってきたことより、値打ちのあることかもしれんぞ。おれは一体いままで何をやってきたのだろう。声望をうたわれたおれが、こんな小僧っこに及ばないなんて、なっさけない。それにしても、自分はいま時計の歴史で重要なポイントに立っているのかもしれん。この発明がきっかけで、どんどん技術が進んで、世界中の時計がガラッと変わったものになるかもしれない。もしそうなら、この歴史的転換点におれも是非一役演じたいものだ。これは神様が俺に与えてくれたチャンスなのかもしれん。」などと考えているうちにだんだん欲が出て、(欲に目がくらんで)悪いことをやってしまうのだろう。こういう心理状態になったら気をつけないといけない。

2012年8月16日木曜日

239.ブローバック・モデルについて

2年間、護謨鉄砲の記事を見なかったが、2010年秋に、拳銃の形をして、ブローバックする作品ができていたようだ。

この動画がyoutubeなどで、検索の上位に出てきて、簡単に見られるようになっている。何種類もあり、いろいろな拳銃モデルを作っている。排莢するような調子づいたようなモデルもある。これらを視て、その迫力に圧倒され、どういう仕掛けになっているか、考える余裕もなかったが、わかる範囲で考察しょうという気になった。

考察といっても、作者(断然マスター氏)がいろいろヒントをかいており、ヒントが書かれた部分だけは理解できるというに過ぎない。

d.hatena.ne.jp/dungeon-master/20101024/p1  にある画像を改変して引用する。(これは画像のいわばパロディであって、盗用ではありません。)
ブローバックモデルのパーツを並べた画像と、パーツを組みあげた画像の上半分どうしをならべて作った画像。上のパーツには見慣れた回転翼(4枚羽根)とこれとエスケープメントを構成する部品が見られる。フロントエンドもスライド先端に見られる。これらを組み立てたものをみると、これらはすべてスライドに付属している。すなわち回転翼式連発護謨**に必要な3要素がすべてスライド側にあるわけで、スライドだけで、護謨**のはたらきをする。いま弾丸を装填して、スライドを片手で保持して、もう一方の手で赤線でしめした下向きの突起を上方へ押し上げて発射させることができる。

ブローバック式護謨**というのは回転翼式護謨**を拳銃のスライドの中に収めて、この護謨**全体を前後に運動させて、実際のガンの動作を真似ようというものである。

そのブローバックの仕組みというものは、さっぱりわからない。ただわかるのは、スライドを動かすエネルギーの出所である。作者自身が、引き金の動きがスライドの動きのもとになるとか、遠因になるとか、ぼやかしたような表現であるが、一部種明かしをしてくれている。

電動ブローバックと銘うったエアソフトガンの1群があり、その場合のブローバックのエネルギーの
もとは電池の電力であろう。

この場合電池は使っていないから、指の力しかないが、もとは指の力であっても、もしその力で護謨を引っ張り、ある瞬間に解放して瞬間的にブローバックを行っているのであればたいしたものだ。引き金がすごく重いにしても。もし引き金を急速にひき、それを増幅してスライドが急速にブローバックしているように見せているだけだったら、WEB上の一発芸(連発しているが)であって、ゆっくり引き金をひくと、スライドの動きもゆっくりになり、ブローバックに見えない。そのどちらのしかけになっているかかはわからない。
部品が多く、それぞれのはたらきはほとんどワタクシにはわからない。したがって前者である可能性もあり、その場合は100点満点だと思う。

動画でみると、スライドは前方に護謨の弾力でつねにひっぱられているように見える。だから後方への動きをも別の護謨に蓄えられたエネルギーの解放によって行うのは難しいだろう。
(1)スライドを輪ゴム1本で前方に引っ張っておく
(2)引き金を引いて輪ゴム2~3本にエネルギーを蓄え、瞬間的に解放してスライドを瞬発的に後方へ引っ張る。スライドが最後尾までくると輪ゴム2~3本との連結がきれ、スライドは前進しはじめる。
(3)スライドが最先端にあたっても跳ね返らない。

そんなことができるのだろうか。

とにかく、こんなものは、いろいろやって遊んでいるうちにひとりでにできたものでは絶対ない。最初は核となるアイデアの生かし方をいろいろ考える段階があっても、いったんある程度の構想がまとまったら、目標を定め、問題点をひとつひとつシステマチックに解決していってできたものと思う。いくつか問題点を解決しているのであって、その開発力はちょっと真似できない。あとからみてわからなくとも仕方ないと思うね。