2013年1月24日木曜日

262.ベルは本当に電話の発明者か

「グラハム・ベル 空白の12日間」(セス・シュルマン著)という本がある。私はこれを読んで、著者の主張に共鳴したので、もはや客観的にこの問題(ベルは本当に電話の発明者か)を論ずることはできない。しかしこの本のとおりとするなら、発明、発見をめぐるスキャンダルとしては超弩級のものだろう。

空白の12日間というのは、ベルの研究日誌に12日間の空白があり、その間、ベルはワシントンDCに特許書類の申請に行っていたのである。ワシントンDCから帰って再開した実験の最初に、ベルは全くそれまでと違った実験を行い、一発で電話の実験に成功する。それはイライシャ・グレイが、(発明特許ではなく)アイデア登録(正式名称は発明特許権保護願い)の形でベルの特許申請と同じ日に申請したのと、まったくおなじ方法によるものであった。ベルのノートにあるアイデアスケッチもグレイのものと、偶然とは思えないくらい似ている。すなわち、特許庁の役人が腐敗していた当時、ベルはグレイの申請を役人を買収して、盗み見、それを自分の多重電信の申請書の余白に書き込んだ・・・・・即ちベルはグレイのアイデアを盗用したと著者は主張しているのである。グレイは自分の書類を業者に頼んで清書させた。そのときに情報がもれ、ベルは義理の父親の助けで、グレイのアイデアも申請の日もあらかじめ知ることができたということである。

(発明特許権保護願いとは、まだアイデアだけで、実物のできていない発明を、アイデアだけ登録申請し、もしそれが認められれば、1年以内に実物が完成するよう努力する。もし1年以内に発明が完成すれば、自動的に特許として認めるという制度で、当時のアメリカにあり、現在はない制度である。)

百年以上も前のことなので、立証は難しい。電話の発明に関する裁判はベルの勝利で決着がついている。だから議論はやめよう。

しかし、ひとつだけは言っておきたい。「電話の発明者はグラハム・ベルであり、イライシャ・グレイは特許申請の時刻がベルより2時間遅れたために涙をのんだ」という世間に流布された俗説は、おかしい。なぜなら、アメリカの特許制度ははじまってこのかた、ずっと先発明主義であり、先願主義でない。申請したのが遅くとも、研究ノートなどによって、先にそのアイデアを思いついていたことが立証されれば、さきに思いついたものの特許となる。だから、アメリカの学生は自分の研究データに教授のサインをもらおうとする。自分の成果を記載したノートの証人になってもらうのである。
ベルの申請がグレイより2時間早かったからベルが発明者と認められたということは、アメリカの特許制度が先発明主義であるということと矛盾するではないか。

もしあなたが大学生であって、大学の講義で、上に述べた俗説をたとえば教授先生の口からきいたならば、すかさずアメリカ特許制度との矛盾を指摘し、その説明を求めたらよい。

しかしその前にセス・シュルマンの本を一度読むべきだ。そしてグラハム・ベルの伝記の決定版として、電話の発明者はベルであるとする書物の代表として、ロバート・V・ブルース著「孤独の克服ーグラハム・ベルの生涯」も読まなければならない。(片方だけだと片手落ちになる。)

ベルとグレイのクレームの内容が重なるため、特許庁長官はどちらの考案が先かの審議を行うとベルに通告したが、ベルの代理人が、「書類の受付時刻がベルの方が早いので調査してほしい」と主張すると、ベルの受付が帳簿上早いことが認められ、審議することなく、ベルの特許があっさり認められてしまった。これがのちに何年にもわたり、泥沼となる裁判のきっかけであった。(アメリカは先発明主義であるから、申請の書類は、その日のカゴの中へ、順番に頓着することなく入れられているので、本来帳簿上の順序のあとさきは意味がない。ベルの代理人は、ベルの書類を手持ちで持ち込み、ただちに受付手続きをしてくれるよう、窓口で異例の要求をした。したがってグレイの書類が先にカゴにはいったにしても、帳簿上の受付順はベルが先になった。ベルの代理人が受付順を調べるように特許庁長官に請願したとき、彼らがベルのほうが先であると確信していたのは、そのような理由による。)

ベルに特許がおりた日は、ベルの研究日誌に電話実験の成功が記録された日より以前である。グレイの「アイデア登録」(発明特許権保護願い)申請の日はベルの実験の日よりも以前で、ベルの特許が降りた日より以前である。しかしこの「アイデア登録」(発明特許権保護願い)というものは、実物ができていなくても申請はできるので、認められたにしても「特許」よりは格が下である。

まだ実験もしていない考案が特許として認められてよいのだろうか。しかしグレイも「特許」でなく、
「アイデア登録」(発明特許権保護願い)であるからには、まだ実験もしていないと考えられる。

ベルの特許が認められた当時の特許審議官がのちにベルの代理人に買収されていたと告白している。しかし彼はアル中であり、その前にその反対の証言を裁判でしている。したがって、そのどちらの証言も信頼するに足りないとされている。

電話の発明の優先権をめぐる話はこのように複雑で、スッキリしない。グラハム・ベルを電話の発明者として賞賛する役はごめんこうむりたいと思う。他の人がベルを賞賛するのは自由だが。

少なくともベルが一時期、必死になって電話の実験をしたことは確かである。たとえ、グレイの申請をカンニングしたあとであっても。そして研究の成果が上がるときというものは、その当時の時代のもろもろの状況が、発明が成就するような状態になっていて、発明者の登場を待っているばかりなので、他人のマネからスタートしたものであっても、勝利を掴むことがありうるのだろう。グレイは多重電信こそが重要と考えていた。電話については、その重要性にきづかなかったのかもしれない。
ベルには電話しかなかった。万国博覧会などでデモンストレーションを続けたのはベルである。

発明や研究をめぐる悲劇・喜劇というものは、特許制度や、賞の制度の欠点による。その発明に大なり小なり貢献した人々が多数あるのに、(そのような状況が発明を生むのに)その栄誉はごく少数の人間にしか与えられない。ノーベル賞はひとつの業績にたいし3人しか与えられない。だから、4人目であるために賞をもらえなかった優れたひとが大勢いるわけである。発明にたいする特許はたった一人にしか与えられない。だから、その発明に直接・間接に寄与した人たちのすべてが満足するようにはとてもいかないのは当然だろう。

1 件のコメント:

Chi さんのコメント...

誰が一番初めに発明したかの特定は実際問題難しいですよね。構想や実験が先に行われていたとしても証明は困難だろうし。
特許の問題は、現在にも通じるところがあると思います。
でも、電話の発明者として、ベル、エジソン・グレイばかり知られて、日本では名前すらでてこないアントニオ・メウッチ(Antonio Meucci)はかわいそうです...。